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弥勒寺|墨田区立川にある真言宗豊山派寺院

弥勒寺の概要

真言宗豊山派の院弥勒寺は、萬徳山聖宝と号します。弥勒寺は、慶長15年(1610)僧宥鑁が小石川鷹匠町に創建、元禄2年(1689)本所に移転したといいます。寺領100石の朱印状を拝領、真言宗関東四ヶ寺の一つとして触頭を勤めた大寺でした。弥勒寺の薬師如来像は、徳川光圀から寄進されたもので、江戸十二薬師のひとつとして有名だったといいます。また新義真言宗の常法談林所であるとともに触頭を勤め、安政大地震まで塔頭6ヶ寺、及び多数の末寺を擁し、関東四ヵ寺の一寺でした。御府内八十八ヶ所霊場46番札所です。

弥勒寺
弥勒寺の概要
山号 萬徳山
院号 聖宝院
寺号 弥勒寺
住所 墨田区立川1-4-13
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場46番札所、墓地募集中、江戸十二薬師



弥勒寺の縁起

弥勒寺は、慶長15年(1610)僧宥鑁が小石川鷹匠町に創建、元禄2年(1689)本所に移転したといいます。寺領100石の朱印状を拝領、真言宗関東四ヶ寺の一つとして触頭を勤めた大寺でした。

「すみだの史跡文化財めぐり」による弥勒寺の縁起

万徳山聖宝院と号し、新義真言宗で京都醍醐寺三宝院末でした。慶長15年(1610)宥鎫によって、小石川鷹匠町に創建されました。幾度かの移転の後、元禄2年(1689)2月、新開地である本所の現在地に移ったものです。現在は根来寺の末寺となっています。
江戸時代は新義真言宗の触頭で、寺領100石の朱印状を下付され、関東四ヶ寺中の一寺として格式がありました。また、江戸十二薬師のひとつとしても有名でした。かつて縁日も本所では、元徳稲荷・徳山稲荷と並んで盛んでした。
この薬師像は、川上薬師といわれ、「文政寺社書上」によれば、かつて水戸領常陸の寺院にあったころ、故あって寺地が水戸光圀によって没収され、像も那珂川に流されたところ、川上に流れ、以後光圀の信仰も得て、川上薬師として祀られてきたと伝えています。
また、塔頭として、徳上院法樹院・正福院・宝珠院・正覚院・龍光院がありましたが、現在、徳上院法樹院龍光院は寺院として独立しています。
現在もユニークな法話の聴ける寺院として知られ、書家相沢春洋をしのぶ筆塚も建っています。(すみだの史跡文化財めぐりより)

「東京名所図会」による弥勒寺の縁起

弥勒寺
弥勒寺は林町一丁目十四番地に在り。萬徳山と號し。聖寳院と稱す。真言宗にして山城國三寳院の末なり。
慶長十五年宥鑁和尚の開基に係る。今は豊山派同志會の本部たり。
薬師堂に安置せる本尊は。川上薬師如来と稱し。市内十二薬師の中第六番なり。詠歌あり。云く。
たくひなきるりの光はみほとけの よろづのとくと仰く弥勒寺
當地は。もと馬喰町上寺町(元岩井町)に在りしが。天和二年此地に移れりといふ。寺領百石を有し。塔頭には法樹院、徳上院、正福院、寳珠院、正覺院、龍光院あり。今存するものは龍光院(十七番地)法樹院(十八番地)徳上院(十九番地)の三宇なり。
境内には弘法大師堂、供養塔(文化十一年七月願主明安)無縁塚、海軍三等火夫伊藤留次郎(明治二十八年十一月信夫撰文)等あり。
墓域には功泰院殿前濃州太守機應即全居士貞享四丁卯年九月二十七日と題せし墓及び杉山検校(江島神社の條参看)醫家穂積天也翁の墓碑(天保十五年冬十月亀田綾瀬撰文)あり。
新編江戸志に云。萬徳山弥勒寺、真言宗新義觸頭、寺領百石一ツ目當寺馬喰町上寺町にあり天和二年此地に移さる。
塔頭、法樹院徳上院、正福院、寳珠院、正覺院、龍光院
貞雄補當寺は馬喰町上寺町舊地也と。諸書に侍れども古繪圖を以今考るに。今の元岩井町弥勒寺其比彼の邊を馬喰町上寺町と云し也。(東京名所図会より)


弥勒寺所蔵の文化財

  • 杉山和一墓(東京都指定旧跡)
  • 戦災殉難慰霊観音像

杉山検校(和一)墓

杉山検校は名を和一といい、慶長15年(1610)伊勢藤堂家の家臣の子として生まれました。しかし幼くして失明し、家を義弟重之に譲り、江戸に出て鍼術を山瀬琢一の門に学びました。のち師の門を追われますが、努力工夫を重ね、さらに江の島の弁天の祠に詣で、断食祈願なども繰り返し、ついに杉山流管鍼を創案しました。さらに京都にいき、入江豊明について鍼術を学び、この道の奥義を究めました。
貞享2年(1685)正月、将軍綱吉の病を治療して白銀50枚を賞賜されました。ついで禄500石を賜り、後に300石を加増されています。元禄5年(1692)5月関東総禄検校に挙げられ、綱吉の命を受けて鍼術の興隆を図り、鍼治講習所を設けて諸生に教授しました。
元禄6年(1693)には宅地を本所一ツ目に受領し、ここで晩年を過ごしました。杉山検校はこの地に、日ごろ信仰厚い相模の江の島弁天社を鎮祭しています。明治以後は江島神社と改め、同じ境内の杉山検校を祀った杉山神社と合わせて、江島杉山神社と呼んでいます。元禄7年(1694)5月18日に85歳でここに没しました。江の島の弁天社とこの弥勒寺に葬られました。(すみだの史跡文化財めぐりより)

弥勒寺のもと末寺

もと塔頭


もと末寺


弥勒寺の周辺図


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