要津寺|墨田区千歳にある臨済宗妙心寺派の寺院
要津寺の概要
臨済宗妙心寺派の要津寺は、東光山と号します。慶安年間(1648-1651)に下総関宿藩の初代牧野成貞が、父成儀を開基として僧東鉄が本郷に創建、東光山乾徳寺と号していました。その後元禄4年(1691)牧野家下屋敷内であった当地に再興、成儀の戒名から要津寺と名づけられました。
| 山号 | 東光山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 要津寺 |
| 住所 | 墨田区千歳2-1-16 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
要津寺の縁起
要津寺は、慶安年間(1648-1651)に下総関宿藩の初代牧野成貞が、父成儀を開基として僧東鉄が本郷に創建、東光山乾徳寺と号していました。その後元禄4年(1691)牧野家下屋敷内であった当地に再興、成儀の戒名から要津寺と名づけられました。
臨済宗、京都妙心寺末で、慶安年間(1648-1651)に僧東鉄が本郷に創建して、東光山乾徳寺と号しました。牧野越中守成儀を開基、西江和尚を開山とします。その後、天和2年(1682)に焼失して廃寺となっていました。元禄4年(1691)2月に牧野備後守成貞が本所の地に7134坪を下屋敷として給せられ、よく3月9日、その一部を寺に寄付し、再興されました。これによって成貞を中興開基、中興開山を梁伝和尚とします。
要津寺所蔵の文化財
- 中野撝謙墓(東京都指定史跡)
- 島男也墓(東京都指定史跡)
- 牧野家墓所(墨田区登録史跡)
- 芭蕉庵関係石碑群(墨田区登録有形文化財)
- 常陸笠間藩牧野家墓所(墨田区登録有形文化財)
常陸笠間藩牧野家墓所
常陸笠間藩主牧野家は、成貞に始まります。成貞は徳川綱吉に仕え、側用人となり、綱吉が度々成貞邸に訪れたというほどに信頼された人物でした。三代後に常陸笠間に移封され、以後廃藩にいたるまで笠間藩主として存続しました。明治維新以後に跡を継いだ貞寧は、本所区緑町(現緑二丁目・亀沢一丁目)に住み、本所小学校(昭和21年廃校)の学務委員を務め、地域の社会発展のためにも貢献しました。
その墓所のある要津寺は、慶安年中に牧野成儀を開基として本郷に創建されました。成貞が元禄4年(1691年)に下屋敷の一部(現在地の一部)を寄進して寺を移し、寺号を成貞寺としましたが、後に成儀の法名を採り、要津寺と改めました。
現在も代々の藩主が眠る牧野家の墓所は周囲よりも一段高い土台の上に石組をめぐらせ、正面に三つ葉柏の家紋と「牧野家代々之墓」と刻まれた墓碑、前面に4基の燈籠が置かれています。(墨田区教育委員会)
要津寺の周辺図
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要津寺本堂
要津寺芭蕉翁俤塚
要津寺地蔵
要津寺客殿