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真英寺|新宿区若葉にある真宗大谷派寺院

真英寺の概要

真宗大谷派寺院の真英寺は、茲現山と号します。祐真上人が元和3年麹町清水谷貝塚村に創建、寛永12年四谷北寺町へ移転しました。以後何度かの移転を繰り返し文政期に当地へ移転しました。

真英寺
真英寺の概要
山号 茲現山
院号 -
寺号 真英寺
住所 新宿区若葉2-1-3
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 永代供養墓安寿の会募集
備考 -



真英寺の縁起

真英寺は、祐真上人が元和3年麹町清水谷貝塚村に創建、寛永12年四谷北寺町へ移転しました。以後何度かの移転を繰り返し文政期に当地へ移転しました。

若葉2丁目1番地3(旧四谷区寺町30番地、再校江戸砂子に北寺町とす)
真宗浅草東本願寺末(大谷派)、茲現山と号す。
初め麹町清水谷貝塚村にあって、元和3年丁巳に借地して起立し、寛永12年現地に移ったとあるが、書上を追って行くと、この寺位転々としている寺はない。書上には清水谷から四谷北寺町(後に愛住町となる。明治5年に町名を付されるまで北寺町といった)に移ったように見えているが、この年代が寛永12年であろう。それより寛文2年壬寅に四谷南伊賀町の同心村山太郎右衛門の地面を借受け、更に南寺町の西応寺内に借地したが寛文10年に北寺町の正応寺境内を借りて(正応寺は現愛住町10番地、真宗大谷派でやはり麹町から寛永11年此地に移る)また愛住町に戻った訳となる。ここが手狭なためさらに明和3年丙戌10月、地福院(地福院は江戸砂子及び東都伽藍記には天台宗の条があるが、四谷北町としたのみで明治の記録には見えず、廃寺かあるいはこれが東福院と合併したか)の境内に引移った。しかしこれも借地であって、嘉永切図には現東福院(この寺は真言)の片隅に見えていて、文政頃の移転であるという事は明白であるという。
ゆえに他寺の如く麹町貝塚よりいきなり現地に来た訳ではなく、愛住町へ二度も行ったり西応寺へ入ったり、多少墓地はあったろうが(今は沢山の墓地がある)容易な事ではなかったろう。
開山祐真上人は慶長2年、旗本の士、三浦助蔵を頼って三州より来た僧であり、寛文8戌申年9月25日入寂している。つまり幕府や大名の援護がなかったので、以上のように住所が定まらなかったのかもしれぬ。
本尊阿弥陀如来、寺宝や過去帳も数度の火災で焼けてない。昔時境内は「志料」には850坪とあるも、今は607坪との事である。東福院の先、左側の横町を入り左側。切図と同様である。(四谷南寺町界隈より)


真英寺所蔵の文化財

  • 親鸞聖人御絵伝

真英寺の周辺図


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