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西応寺|新宿区須賀町にある真宗大谷派寺院

西応寺の概要

真宗大谷派寺院の西応寺は、松雲山と号します。慶長12年(1607)麹町貝塚夫婦坂に周桂和尚が創建、寛永12年当地へ移転しました。

西応寺
西応寺の概要
山号 松雲山
院号 -
寺号 西応寺
住所 新宿区須賀町11-4
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



西応寺の縁起

西応寺は、慶長12年(1607)麹町貝塚夫婦坂に周桂和尚が創建、寛永12年当地へ移転しました。

真宗大谷派で松雲山と号す。
書上によれば、境内古跡拝領地1113坪とある。東都伽藍記(安永項)も同じ坪数であるが、東京府史料には1173坪とあるのは1と7の見誤りであろう。今は墓域500坪である。
始めは、同寺の備考寺社書上げによれば、慶長12年丁未麹町貝塚夫婦坂という所に起立し(このところは明治に行政裁判所のあったところで、紀尾井町になる)、寛永11年甲戌、外郭が出来る時用地に公収せられて、現地に移転したのは同12年乙亥正月21日であると。
さらに、開闢起立之儀は、俗称不詳の開基周桂和尚と申す者、駿州府中の産にて、乍恐上様御由緒も御座候者の由、太田何某に養育せられ、人と成に及んで、同国西教寺弟子と成、何卒一宇建立支度存じ、内藤帯刀殿家来河棲五郎左衛門と申者を便り、関東に罷り下り、江府鷹匠町(市ヶ谷鷹匠町か)三浦助蔵と申す御家人屋敷に暫く逗留仕り、所々を勧化等致し、定まれる庵地も御座無く候間、麹町辺の知人に借地仕り、始めて草庵を結び、日々江府を勧化仕り、且つ手跡人に勝れ候故、手跡の弟子など多く御座候処、其後年月知れず候え共、権現様御成の節、庵室え御立寄遊され候処、御由緒の訳申上げ、慶長12丁未年、前書庵地拝領仕り候。右委細の訳、年代相隔て候事故、しかと相分り申さず候得共、周桂実子二代目関竜、書置候ものに相見え候間、此段申上げ候。其後慶長15庚戌年3月、木仏寺号御免成下され候。と以上が書上げにあって、本尊は伝春日作の阿弥陀如来があった。開基周桂和尚は寛永元年甲子12月10日寂している。
寺宝としては家康所用の団扇および脇差、その他数点があるが、昭和20年の戦災によって大分痛めつけられたという。(四谷南寺町界隈より)


西応寺所蔵の文化財

  • 榊原健吉の墓(新宿区指定文化財)

源清麿の墓

幕末から明治にかけて活躍した、最後の剣客榊原健吉は、天保元年(1830)麻布広尾に生まれた。
十二歳のとき、麻布狸穴の直心影流男谷精一郎門下となり、嘉永2年(1849)には免許をうける。
安政3年(1856)幕府講武所の剣術教授方に登用され、文久2年(1862)には同師範に昇進、元治元年(1864)には下谷車坂の屋敷で道場を開いた。
慶応2年(1866)には幕府遊撃隊頭取となり、上野戦争で活躍するが、明治元年(1868)8月徳川家達に従い静岡に移住した。
その後、明治政府より再三招かれるが断り、明治6年(1873)撃剣会を発足させ、維新後衰退した剣術の再興と普及に努めた。
明治27年(1894)9月11日死去した。(新宿区教育委員会掲示より)


西応寺の周辺図


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