天龍寺|新宿区新宿にある曹洞宗の寺院
天龍寺の概要
曹洞宗の天龍寺は、護本山と号します。小田原最勝寺五世の春屋宗能和尚を開山、戸塚忠春とその娘の西郷の局を開基として牛込に創建しました。江戸城表鬼門を鎮護する上野寛永寺に対し、裏鬼門を護る寺とされていたといいますが、天和3年(1683)牛込の火事で類焼、当地へ移転しました。当寺を菩提寺としていた牧野備後神成貞の寄進により鐘が寄進され、内藤新宿に時刻を告げる「時の鐘」として明治維新まで利用されました。当寺のある新宿は江戸城から遠く登城に時間がかかるため、江戸には八ヶ所ある時の鐘のうち当寺の時の鐘のみ、朝四半刻(30分)早く鐘をうっていたといい、新宿で遊興していた人々を追出す鐘とともなっていたため、「追出しの鐘」として頗る評判が悪かったともいいます。
| 山号 | 護本山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 天龍寺 |
| 住所 | 新宿区新宿4-3-19 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
天龍寺の縁起
天龍寺は、宝徳元年(1449)天竜川ほとりあった法泉寺を前身とし、檀越の戸塚忠春の娘が徳川家康の側室となり、徳川秀忠の生母となったことから、戸塚牛込御徒町西馬場に移転したといいます。牛込に移転際に天龍寺と改号、創建とします。小田原最勝寺五世の春屋宗能和尚を開山、戸塚忠春とその娘の西郷の局を開基とします。牛込にあった時には、江戸城表鬼門を鎮護する上野寛永寺に対し、裏鬼門を護る寺とされていたといいますが、天和3年(1683)牛込の火事で類焼、当地へ移転しました。当寺を菩提寺としていた牧野備後神成貞の寄進により鐘が寄進され、内藤新宿に時刻を告げる「時の鐘」として明治維新まで利用されました。当寺のある新宿は江戸城から遠く登城に時間がかかるため、江戸には八ヶ所ある時の鐘のうち当寺の時の鐘のみ、朝四半刻(30分)早く鐘をうっていたといい、新宿で遊興していた人々を追出す鐘とともなっていたため、「追出しの鐘」として頗る評判が悪かったともいいます。
天龍寺所蔵の文化財
- 天龍寺の時の鐘(国重要美術品)
- 天龍寺のやぐら時計(区指定文化財)
天龍寺の時の鐘
天龍寺の鐘は、元禄13年(1700)牧野備後神成貞により寄進されたもので、内藤新宿に時刻を告げた「時の鐘」である。
現在の鐘は、銘文により元禄13年の初鋳、寛保2年(1742)の改鋳につづく三代目のもので明和4年(1767)の鋳造である。
総高155cm、口径85.5cmで多摩郡谷保村の関孫兵衛の鋳造になる。
天龍寺の時の鐘は、内藤新宿で夜通し遊興する人々を追出す合図であり「追出しの鐘」として親しまれ、また江戸の時の鐘のうち、ここだけが府外であり、武士も登城する際時間がかかったことなどから三十分早く時刻を告げたという。
なお、上野寛永寺・市ヶ谷亀岡八幡神社とともに江戸の三名鐘と呼ばれた。(新宿区教育委員会掲示より)
天龍寺のやぐら時計
時の鐘とともに牧野備後神成貞が寄進したもので、この時計をもとに鐘を撞いたという。
時計は、高さ103センチのやぐら型の台にのっているため、やぐら時計と呼ばれる。
本体は縦24.5cm、横16.5cm、奥行16.3cmの箱型で、上に高さ11cm、径15.1cmの鐘が付いている。
文字盤は明治以後二十四時間制に取替えられているが、中央に牧野家の三つ柏の紋がついている。(新宿区教育委員会掲示より)
天龍寺の周辺図
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天龍寺山門
天龍寺鐘楼
天龍寺寺務所
