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誓閑寺|新宿区喜久井町にある浄土宗寺院

誓閑寺の概要

浄土宗寺院の誓閑寺は、亀鶴山易行院と号します。誓閑寺は、寛永7年(1630)易行院と称して草創、重蓮社本譽上人誓閑和尚が開山、寛文6年(1666)当地へ移転したといいます。

誓閑寺
誓閑寺の概要
山号 亀鶴山
院号 易行院
寺号 誓閑寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 新宿区喜久井町61
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



誓閑寺の縁起

誓閑寺は、寛永7年(1630)易行院と称して草創、重蓮社本譽上人誓閑和尚が開山、寛文6年(1666)当地へ移転したといいます。

「牛込區史」による誓閑寺の縁起

亀鶴山易行院誓閑寺 深川靈嚴寺
寛永七年靈岸嶋に起立、明暦大火後宗参寺領の内庚申塚に借地移轉。寛文六年七月喜久井町に移る。開山重蓮社本譽上人誓閑和尚、寛永二年五月十五日卒。舊境内借地二千百八十一坪、古跡年貢地済松寺領百三十三坪。境内に直径二尺六寸の大鐘があり、元和二年二月藤原兼長の作で、鐘銘に『荏原郡』と記入してあるので、史家の間に注意されたものである。書上に『境内小川あり、荏原郡と豊島郡との境なり、本堂のある方を荏原と云』とある。(「牛込區史」より)


東京名所図会による誓閑寺の縁起

誓閑寺は同町(喜久井町)六十一、六十二番地に在り。浄土宗にして赤門に黒額を打ち。亀鶴山と赤書す。門内右に「除厄五智如来」の石標を建つ。左に鐘楼あり。鐘胴の處々に六字の法號を鋳出し。鋳物師天下一西島伊賀作藤原兼長とあり。本堂は二重屋にて。下の方を赤色に塗り黒地に白地を以て誓閑寺と題せし扁額を掲げ堂前左右に同丹樹を樹。他の寺院とは其の趣を異にせり。五智如来は開山本譽上人誓閑和尚の刻する所なり。
高田雲雀に其の舊事を記して左の如くいへり。
亀鶴山誓閑寺
開山木食上人。往古は少しの庵室なりしとかや。庵の前に東西南北に松四本植て方角を定めし候。方松庵ともいひしとかや。今はその名絶て知る人なし。此上人木佛金佛を作ることを得て。常にふいご細工をなす故。境内に稲荷を勧請し。霜月八月には吹革祭と號し。今に其古風残りてあり。蜜柑をなげ祭るなり。古来の絲櫻江戸には稀なるしたれざくらなり。境内に小川あり。荏原郡と豊島郡の堺なり。今本堂ある方を荏原といふ。さるによりて鐘の銘にも荏原とあり。庚申堂往古の庵なりとかや。」
此絲櫻は今見當らず。墓碑にておかしきは、悪七兵衛景清の墓といふもの是なり。墓面に日向勾當と肩書し。水鑑景清居士。建保二甲戌年八月十五日九十八卒とありて。側邊に享和二癸亥年七月吉辰。右紀成功修補と刻したる。日向勾當などとは全く謡曲より出でしものなり。(東京名所図会より)


誓閑寺所蔵の文化財

  • 誓閑寺の梵鐘(新宿区指定文化財)
  • 銅造地蔵菩薩半跏像(新宿区指定文化財)

誓閑寺の梵鐘

天和二年(一六八二)に近在の住民の寄進により鋳造された区内最古の梵鐘である。
総高一三八センチ、口径七九センチ、周囲二三六センチで、形状は比較的古い様式を残している。
池の間(銘文等を刻む空間)は四つに区画され、全面に銘文が刻まれており、特に銘文中の「武州荏原郡」の記載は、当時すでに豊島郡になっていたこのあたりが、古い郡名で呼ばれていた例を示す史料となっている。
なお、鐘楼は昭和四十九年四月に、千葉県木更津市の選擇寺より移築されたものである。(新宿区教育委員会掲示より)

銅造地蔵菩薩半跏像

文政元年(一八一八)誓閑寺第十世住職進誉求道の時に鋳造された像で、神田の鋳物師太田駿河守藤原政義の作である。
総高一三六センチメートル。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏像で肉身部には鍍金が施されている。
台座正面には「百万遍講中」と刻まれており、「市ヶ谷大奥中」以下一八〇名あまりの人名が刻まれている。「市ヶ谷大奥中」とは市ヶ谷に上屋敷を構えていた尾張徳川家に関連するものと考えられる。江戸時代、この近くには尾張徳川家の下屋敷(戸山山荘)もあり、誓閑寺には同家の奥女中らが葬られるなど関わりが深かった。(新宿区教育委員会掲示より)

誓閑寺の周辺図