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葛谷御霊神社|御備謝祭(おびしゃまつり)、新宿区西落合の神社

葛谷御霊神社の概要

葛谷御霊神社は、新宿区西落合にある御霊神社です。葛谷御霊神社は、源義家が奥州征伐に赴く際に付き従った京都の桂(葛)の里の一族が、奥州征伐の帰りに当地に住み着き、当地付近を葛ヶ谷と呼ぶようになり、その際に八幡社が勧請されたと伝えられます。江戸期には葛ヶ谷村の鎮守として祀られていました。当社で行われる備謝祭(おびしゃ)は中世末から行われており、現在も毎年1月13日に行われています。

葛谷御霊神社
葛谷御霊神社の概要
社号 葛谷御霊神社
祭神 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武内宿彌
相殿 -
境内社 天神社、厳島神社
住所 新宿区西落合2-17-17
祭日 御備謝祭1月13日
備考 -



葛谷御霊神社の由緒

葛谷御霊神社は、源義家が奥州征伐に赴く際に付き従った京都の桂(葛)の里の一族が、奥州征伐の帰りに当地に住み着き、当地付近を葛ヶ谷と呼ぶようになり、その際に八幡社が勧請されたと伝えられます。江戸期には葛ヶ谷村の鎮守として祀られていました。

新宿区の文化財による葛谷御霊神社の由緒

旧葛ヶ谷村の鎮守で、祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武内宿彌の4柱である。社伝によると、平安時代の前九年の役で、源義家が安倍頼時討伐に行く際、京都の桂(葛)の里の一族が義家に従い、常に氏神の八幡宮に勝利を祈り、無事頼時を征伐した。京への帰途この一族は、地形・風土の似た落合のあたりにとどまった。このため、かつてこのあたりを葛ヶ谷と呼んだ。その際勧請した八幡が葛谷御霊神社となったという。
当社にも中井御霊神社の項で紹介した備謝祭が伝わっている。備射祭は歩射、奉射などとも書く正月の弓神事で、当社では備謝の字をあてている。江戸時代には各地でさかんに行われていたが、現在、東京23区内では新宿区のニヶ所(葛谷御霊神社と中井御霊神社)と大田区東六郷の六郷神社のわずか3ヶ所に伝わっているにすぎない。(新宿区の文化財より)

東京都神社名鑑による葛谷御霊神社の由緒

寛治年間(一〇八七-九四)陸奥守源朝臣義家卿鎮守府将軍として、奥州の賊徒阿部頼時討伐の時、山城国桂の里の一族義家卿の軍に従い、常に氏神八幡宮に勝利を祈って無事賊徒を亡し京都に帰還の途次、桂の里の一族がこの河川・地形・風土に恵まれた土地(桂の里がなまって葛ケ谷となり、昭和初めまで称えられていた)にとどまり、神威あらたかな氏神八幡宮およびその母君にして平和の神(お産の神)神功皇后および武内宿禰を祀り、御霊社と名付けて崇め奉った。その子孫代々は恵れ、この地に永く久しくとどまって子孫の繁栄と平和を祈り、備謝祭という練武行事と、新入居者の披露したる祭事を残し、氏子こぞって歌に舞に、その限りを尽して現在に継承してきた。(東京都神社名鑑より)

新編武蔵風土記稿による葛谷御霊神社の由緒

(葛ヶ谷村)御霊社
村の鎮守なり例祭正月十三日自性院持下同じ
末社。牛頭天王、八幡。(新編武蔵風土記稿より)


葛谷御霊神社所蔵の文化財

  • 御備謝祭(新宿区指定文化財)
  • 力石(新宿区指定文化財)

葛谷御霊神社の周辺図




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