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天妙国寺|品川区南品川にある顕本法華宗寺院、別格山

天妙国寺の概要

顕本法華宗の天妙国寺は、鳳凰山と号し、顕本法華宗の別格山で、江戸時代には、南品川本光寺、浅草慶印寺と共に京妙満寺末触頭三寺でした。弘安8年(1285)に日蓮の弟子中老僧天目が開創、江戸時代には寺領10石の朱印を賜っています。

天妙国寺
天妙国寺の概要
山号 鳳凰山
院号 -
寺号 天妙国寺
住所 品川区南品川2-8-23
本尊 釈迦如来
宗派 顕本法華宗
葬儀・墓地 天妙国寺会館で葬儀の一派利用可能
備考 御朱印寺、顕本法華宗別格山



天妙国寺の縁起

天妙国寺は、弘安8年(1285)に日蓮の弟子中老僧天目が開創しました。江戸時代には寺領10石の朱印を賜っています。

弘安8年日蓮の弟子中老僧天目が開いた寺である。延元2年4月26日寂す。
永享6年5月品川八郎三郎国友は当寺に帰依し、その領内南品川の辺りの芝原若干を寄附した。同8年4月に、前上総介定景は両親の菩提の為、畠地を寄附する。同10年7月、同11年11月の二度に憲泰も寺地を寄附した。ここで寺領も広くなり、法燈も益々盛んとなった。これは僧日叡の在住の頃である。文安元年になり領主沙弥道胤、鈴木光樹の両人が大檀那となって七堂伽藍の建立を企て、17年を経て長禄3年に落成した。為に日叡を中興開山と称する。文安3年の古鏡銘に、大檀那沙弥道胤と刻され、宝徳2年の文書にも品川の住人道胤と記してある。此後永正14年10月弾正正忠寺に制札を建て、同19年10月左京亮元景畠三段を寄附する。大永4年北条氏綱高輪原合戦の時に制札を出して軍兵の狼藉を戒め、その後天文永禄の数回にわたって北条氏より制札文書を賜った。天正19年東照宮より寺領10石の朱印を賜り、後家光の鷹狩りの時しばしば御立寄りになり、寛永11年11月五重塔修造を命じられ、又新たに本尊及仁王門大門、石垣、石燈籠、小書院等を造立させたと云われる。


天妙国寺所蔵の文化財

  • 桃中軒雲右衛門の墓(品川区指定史跡)
  • 日什筆曼荼羅
  • 日蓮消息文[上野女房御返事]
  • 日什諷誦文及び置文写

桃中軒雲右衛門の墓

当寺の典籍は、文書6点を含む17点で、享保年中から明治に至る間(1720-1885)に作成された写本、稿本(手書きした本)類である。
いずれも顕本法華宗の教義・門流・先師に関するもので、特に典籍の「宮谷檀林林玄能歴代本山法主記」のように、現在では孤本となっているものもある。また、文書の中には、創建(弘安8年=1285)以来から品川地域では大寺であった同宗の天妙国寺に関する史料が含まれているのも興味深い。
これらは、顕本法華宗の宗門研究にとって大変貴重な史料である。

日什筆曼荼羅(指定昭和58年3月12日)

縦38、横15.4cm、紙本墨書、軸仕立である。中央に南無妙法蓮華経の7字を大書し、その左右および下に、多宝・釈迦・四菩薩・日蓮など多数の諸尊名が梵字の種子で書かれている。中央下には日什(花押)の署名と年記及び受者名が記してある。
この曼荼羅は至徳2年(1384)顕本法華宗の開祖日什が玄恵坊に授けたもので、軸裏に慶長14年(1609)日経が日什の真筆であると証明している。

日蓮消息文[上野女房御返事](指定昭和58年3月12日)

縦30.3、横39.2cm、紙本墨書、軸仕立てである。
この文書は、日蓮が上野(山梨県中巨麗郡櫛形町)に住んでいた南条時光の夫人が、署名花押は晩年の建治・弘安(1277-80)頃の他の真筆に類似している。墨色はかなり薄れているが、真筆を疑う余地はないようである。

日什諷誦文及び置文写(指定昭和58年3月12日)

天地35.9、長さ260cm、紙本墨書、巻子仕立である。
諷誦文は死者追悼の法会に、その意趣を記して読み上げる文、置文は自己の意思を後の人に伝えるために書いた文である。
この諷誦文は、嘉慶2年(1388)8月、顕本法華宗の祖日什が弟子日妙の一周忌法要に読み上げたもので、著作の残っていない日什の教説を知り得る唯一の資料として貴重である。また置文は、日什が弟子たちに示した心得2ヶ条から成る。
奥書によれば、寛永14年(1637)日葉が京都の寂光寺所蔵の日什の自筆本を写したものとなっている。
天妙国寺は顕本法華宗に属する大寺で、弘安8年(1285)日蓮の直弟子天目上人が開いた寺である。

天妙国寺の周辺図


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