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雉子神社|品川区東五反田の神社、上大崎村・下大崎村・谷山村の鎮守

雉子神社の概要

雉子神社は、品川区東五反田にある神社です。雉子神社は、文明年中(1469-1487)の創立といわれています。慶長年間に徳川三代将軍家光が当地に鷹狩りに来た時、一羽の白雉がこの社地に飛び入ったのを追って社前に参詣し、「以後雉子宮と称すべし」との言葉があり、雉子ノ宮と改称、江戸期には上大崎村・下大崎村・谷山村の鎮守でした。

雉子神社
雉子神社の概要
社号 日本武尊
祭神 誉田別命
相殿 天手力雄命、大山祗命
境内社 三柱神社(大国主命、倉稲魂命、埴山姫命)
住所 品川区東五反田1-2-33
備考 雉子神社摂社:誕生八幡神社、兼務社:袖ヶ崎神社



雉子神社の由緒

雉子神社は、文明年中(1469-1487)に、当地に飛来してきた白雉に関する霊夢から、日本武尊を祀った大鳥明神を創建したと伝えられます。慶長年間に徳川三代将軍家光が当地に鷹狩りに来た時、一羽の白雉がこの社地に飛び入ったのを追って社前に参詣し、「以後雉子宮と称すべし」との言葉があり、雉子ノ宮と改称しました。江戸期には上大崎村・下大崎村・谷山村の鎮守、別当寺は宝塔寺が務めていました。明治5年村社に列格、明治43年上大崎村に鎮座の三島神社を合祀しています。

「品川区の文化財」による雉子神社の由緒

文明年中(1469-1487)の創立といわれている。別の社伝で景行天皇40年といわれているが信ずるに足らない。
新編武蔵風土記に「社伝に云、文明年中当所に白雉一羽飛来て死す、其夜村民の夢に甲冑を着したる人来て告云、我は日本武尊なり我を当所に祀らば国家を守護し村民安全なるべしとて遂に白雉と化し飛去ぬ、是によって彼白雉を埋み大鳥明神と号す。大猷院殿御放鷹時、白雉一羽当山に飛入しかば、是を追て社前に至らせ給ひ、村民に神号を問せられしに大鳥明神と言上せしかば、今より雉子宮と称すべしと上意ありと云」との伝承が記述されているが、その他のことについては不詳である。(「品川区の文化財」より)

雉子神社掲示による縁起

当社鎮座の起源は古く、御社号は元荏原宮、文明年中には大鳥明神社とも称して居りましたが、慶長年間に徳川三代将軍家光公が鷹狩りの折に、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを稀な目出度いしるしであるとして雉子宮と名付けられて、江戸の社寺名所にその名を連ね、明治維新に雉子神社と改められて現在に及んでいます。 当社は武蔵国荏原郡上大崎村、下大崎村、谷山村、永峰町、六軒茶屋町、現在の品川区上大崎・東五反田の全域と、両五反田1・2・3丁目一円の氏神鎮守であります。 神域は昔から現在の処で、社前の中原街道(国道一号線)が明治38年から3度横幅改修されて、次第に狭隘となりました。明治以前は白雉山宝塔寺が別当職でありました。明治5年村社と定められ、明治43年上大崎村に鎮座の三島神社を合祀して現在に及んでいます。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による縁起

除地6段1畝9歩、村の東方品川台町の境にあり。上下大崎及び谷山村の鎮守なり。祭神日本武尊。社傳に云、文明年中当所に白雉一羽飛来て死す。其夜村民の夢に甲冑を着したる人来て告て云、我は日本武尊なり我を当所に祀らば国家を守護し村民安全なるべしとて遂に白雉と化し飛去ぬ。是によって彼白雉を埋み大鳥明神と号す。大猷院殿御放鷹の時白雉一羽当山に飛入しかば、是を追て社前に至らせ給ひ、村民に神号を問せられしに大鳥明神と言上せしかば、今より雉子宮と称すべしと上意ありしと云。神体木像長1尺3寸、本社方1間半、幣殿5間に2間。向拝1間半に2間。社前に石階あり、其下に石の鳥居水屋等建り。例祭9月2日。
末社。
稲荷三島子神合社。本社の西南にあり。1間半に1間。神体各幣束なり。三島は元上大崎村に鎮座し、子神も別社にて村内にありしが、何の頃か爰に合祀す。三島の旧地210坪。子神の元地28坪。共に見捨地にて別当寺の進退なり。(新編武蔵風土記稿より)


雉子神社所蔵の文化財

  • 雉子神社文書(品川区指定文化財)
  • 雉子神社祭礼幟(品川区指定文化財)

雉子神社の周辺図




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