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三ヶ島八幡神社。所沢市三ヶ島の神社

三ヶ島八幡神社の概要

三ヶ島八幡神社は、所沢市三ヶ島にある八幡神社です。三ヶ島八幡神社は、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して元和9年(1623)に創建、三ヶ島村字八幡脇の鎮守社だったといい、三ヶ島村内に祀られていた湯殿社・天王社(八雲神社)を合祀したといいます。

三ヶ島八幡神社
三ヶ島八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別尊
相殿 -
境内社 八雲神社、湯殿神社
祭日 -
住所 所沢市三ヶ島1-212
備考 -



三ヶ島八幡神社の由緒

三ヶ島八幡神社は、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して元和9年(1623)に創建、三ヶ島村字八幡脇の鎮守社だったといい、三ヶ島村内に祀られていた湯殿社・天王社(八雲神社)を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による三ヶ島八幡神社の由緒

(三ヶ島村附新田)八幡社
百姓の持
湯殿権現社
是は照明院領の内にて、則かの院の持なり、土人大日堂と號す。
照明院
湯殿山と號す、寺領七石三斗の御朱印を賜ふ、新義真言宗、多磨郡成木村安楽寺末、開山僧長賢年代詳ならず、本尊は大日を安置せり。
天王社。
熊野社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三ヶ島八幡神社の由緒

八幡神社<所沢市三ヶ島一-二一二(三ヶ島字八幡脇)>
当社の古い様子を『風土記稿』は、「武蔵野新田末だひらけざるまへは、此辺多くは原野なりしに、此所のみ人家三区にわれて、自ら村落をなせしさま、たとへば三箇の島のごとくなりしゆへこの名起りしと云」と載せ、早い開村を語っている。
当地には、オカラ石と石船の伝説がある。昔、この地に二匹の竜が住んでいたが、ある日二匹の竜が空でぶつかり、それぞれ落ちて石になった。一つはオカラ石と呼ばれ、現在も森田家の氏神として祀られ、いま一つの石は、現在はどこにあるか分からないがその石が落ちた所は今も石船と呼ばれている。
口碑によると、当社は鎌倉の八幡宮の分霊を祀ったもので、江戸時代には既に八幡脇(現三ヶ島第一区)の鎮守様であったという。
昭和二五年に境内整備社殿再建事業を行い、本殿の修復、拝殿新築、狛犬・玉垣・覆屋の新設がなされた。
境内社二社はいずれも合祀社で、八雲神社は同字内に祀られ、古くから夏の疫病除けの神として、七月一五日“天王様”と称する祭礼が行われていたが、政府の合祀政策により明治四四年境内に移された。
湯殿社は、明治期廃寺となった同字内照明院境内に祀られていた石祠で、昭和二四年八月地区整理により境内社として遷座された。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による三ヶ島八幡神社の由緒

三ヶ島八幡神社
狭山丘陵の西北に八幡社あり、応神天皇(誉田別尊)を祀る。地は三ヶ島に属す。
往古元和癸亥九年、(一六二三)四月十日、代々ここに住める郷民、鶴岡八幡宮より分祀勧請して一社となし、子孫の守護繁栄を祈願せり。
郷民の崇敬、年を経て重畳、遂に宝暦辛巳十一年(一七六一)十一月大破、三ヶ島村を知行する旗本武蔵孫之丞、郷民とともに修覆普請、建立をなす。
匠の大工は武州比企郡吉見村長兵衛なり。
社殿の御神体は文化庚午七年(一八一〇)八月十五日銘文の御神像を祀り、また御神鏡も安置せり。
当社の例大祭は十月中旬、なお、郷民の初宮詣、七五三、病気平癒、豊作祈願など、崇敬泰山の如し。(境内掲示より)


三ヶ島八幡神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)