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慈寶院。さいたま市大宮区三橋にある天台宗寺院

慈寶院の概要

天台宗寺院の慈寶院は、慈叡山寂光寺と号します。慈寶院の創建年代等は不詳ながら、第三代天台座主慈覚大師円仁が天長6年(829)に創建、江戸時代初期には75石の寺領を有していた大寺だったといいます。

慈寶院
慈寶院の概要
山号 慈叡山
院号 慈寶院
寺号 寂光寺
住所 さいたま市大宮区三橋4-566
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来像
葬儀・墓地 -
備考 -



慈寶院の縁起

慈寶院の創建年代等は不詳ながら、第三代天台座主慈覚大師円仁が天長6年(829)に創建、江戸時代初期には75石の寺領を有していた大寺だったといいます。

新編武蔵風土記稿による慈寶院の縁起

(側海斗村)慈寶院
天台宗、入間郡仙波中院の末、慈叡山寂光寺と號す、寺傳に云、當寺は天長六年慈覺大師の草創にして、本尊彌陀は即ち大師一刀三禮の作と云、今は是を腹籠とせり、かかる靈地なれば、古へ七十五石の寺領ありしが、寛永年中故あつて失へりと云、開山より四十世の僧宥海元和年中の示寂なれば、古き寺なることは知らる、されど大師の草創と云はうたがふべし。
不動堂。本尊不動は智證大師一刀三禮の作にして、比叡山より移し安置すと云。
山王稲荷合社、三峰社。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による慈寶院の縁起

慈寶院は、天台宗の古刹で、慈叡山寂光寺と称します。本尊は阿弥陀如来、明治期の中頃までは、川越仙波中院の客末の寺でした。現在は総本山、比叡山延暦寺の直末となっています。
平安時代に開創された寺院は市内に六ヶ寺ありますが、いずれも市域の西部地域に分布しており、当寺もそのうちの一寺です。周辺の鴨川左岸の西部地区に分布しており、六世紀頃に構築された側ヶ谷戸古墳群(市指定史跡。境内には山王山古墳の石室が露出して所在)が連なっており、古くから開発された地域であることがわかります。
縁起によると、平安時代の天長年間(八二四〜三四)、淳和天皇の勅により仏教を教え導くために東国を歩かれた、慈覚大師円仁(第三代天台座主)によって開かれたと伝えられていますが、定かではありません。しかしながら、当寺の古址(現在地より西の鴨川縁り。小字名は井刈)の近くからは、平安時代の古代瓦が出土していますし、また元和年間(一六一五〜二四)に没した住持の宥海和尚は開山から四十世と伝えられることから、平安時代には既に存在していたことが知られます。
江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿では、「古へ七十五石の寺領ありしが、寛永年中故あつて失へり」とあるところから、徳川家康の入府当初七十五石を寄進された寺院とすれば、中世にはかなり繁栄していたと推察できます。だが、幾多の歴史を刻んだ当寺は判明しているだけでも、文政十二年(一八二九)、嘉永七年(一八五四)、明治四十三年の火災によって、本堂、庫裡、宝物のほとんどを焼失しており、残念ながら往古の面影はなくなってしまいました。
なお、住職墓地には明治二年建立の五十三世秀応和尚の筆子塔があり、江戸時代末期には当寺に寺子屋が開設されていたものと思われます。(大宮西ロータリークラブ掲示より)


慈寶院の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」