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黒山熊野神社。入間郡越生町黒山の神社、旧村社

黒山熊野神社の概要

黒山熊野神社は、入間郡越生町黒山にある神社です。黒山熊野神社は、箱根権現社の別当だった相馬掃部介時良入道山本坊栄円が、応永年間(1394-1428)本山派修験の大寺山本坊を開山する際に勧請、祭神は一説には平将門だったともいいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より社領三石の御朱印状を拝領、明治5年村社となり、社号を熊野神社に改めたといいます。明治40年には同大字内にあった字清水の八雲神社、字東の愛宕神社、字東の榛名神社、字原の神明神社の四社を合祀しています。

黒山熊野神社
黒山熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 入間郡越生町黒山674
備考 -



黒山熊野神社の由緒

黒山熊野神社は、箱根権現社の別当だった相馬掃部介時良入道山本坊栄円が、応永年間(1394-1428)本山派修験の大寺山本坊を開山する際に勧請、祭神は一説には平将門だったともいいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より社領三石の御朱印状を拝領、明治5年村社となり、社号を熊野神社に改めたといいます。明治40年には同大字内にあった字清水の八雲神社、字東の愛宕神社、字東の榛名神社、字原の神明神社の四社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による黒山熊野神社の由緒

(黒山村)
熊野社
慶安二年社領三石の御朱印を賜ふ、當社は西戸村山本坊の進退する處なり、按に堂山村最勝寺に蔵せる、大般若経の奥書に、應永廿四年五月十九日、武州入西郡吾那越生郷、新熊野常住執筆良觀と記し、及同年六月廿日武蔵國吾那小山一乗坊新熊野など記せしもあり、當社は元より山本坊の預る所なれば、自ら別社なるべけれど、又此越生の内に小山と號する所も、今其地なければ彼新熊野と云もの、當社のことなるも知べからず。
神楽堂。
本地堂。薬師の像を安ず、春日の作なりと云。

天王社
是も山本坊の内

金毘羅社

愛宕社

山祇明神社
百姓持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による黒山熊野神社の由緒

熊野神社<越生町黒山六七四(黒山字北ケ谷戸)>
当地は、越辺川の上流、秩父山地の山間の地に位置する。黒山の地名は、地内の一帯に古生層の黒っぽい岩石が露出していることに由来する。中世の文書には既にその名が見えるが、開村は更に古いと伝えられる。
当社は、応永年間(一三九四-一四二八)、箱根権現社の別当であった相馬掃部介時良入道山本坊栄円が当地に移り、本山派修験の大寺であった山本坊を開山するにあたって勧請した社で、熊野大権現と称し、この時、不動堂・赤堂・長命寺と共に建立されたと伝えられる。しかし、棟札によれば応永五年二月の造営で、「将軍将門宮」となっている。更に、氏子の口碑にも平将門を祀るとも伝えるため、当初は平将門が祭神であったことがうかがわれる。
慶安元年には三石の朱印地を社領として賜っている。明治五年の社格制定にあたっては、村社となり、社号を従来の熊野大権現から現行の熊野神社に改めた。更に、同四〇年には同大字内にあった字清水の八雲神社、字東の愛宕神社、字東の榛名神社、字原の神明神社の四社を合祀している。
主祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命である。
なお、昭和六〇年一一月六日不審火により社殿が焼失している。(「埼玉の神社」より)


黒山熊野神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)


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