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高久蕎高神社。吉川市高久の神社

高久蕎高神社の概要

高久蕎高神社は、吉川市高久にある神社です。高久蕎高神社の創建年代は不詳ですが、長禄4年(1460)銘の板碑などがあり、また旧別当寺の密厳院が中世の創建ということから、古くからの存在が推定されるといいます。江戸期には高久村の鎮守社であったといい、明治41年には字北通の日枝神社、字南通の浅間神社・天神社を合祀、太平洋戦争後に字北通の子安稲荷神社を合祀したといいます。

高久蕎高神社
高久蕎高神社の概要
社号 蕎高神社
祭神 高木の神
相殿 -
境内社 子安稲荷社、天神社、山王社、水神宮、浅間
祭日 -
住所 吉川市高久1-7-1
備考 -



高久蕎高神社の由緒

高久蕎高神社の創建年代は不詳ですが、長禄4年(1460)銘の板碑などがあり、また旧別当寺の密厳院が中世の創建ということから、古くからの存在が推定されるといいます。江戸期には高久村の鎮守社であったといい、明治41年には字北通の日枝神社、字南通の浅間神社・天神社を合祀、太平洋戦争後に字北通の子安稲荷神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による高久蕎高神社の由緒

(高久村)
蕎高明神社
村の鎮守なり、祭神は龍神なりと云傳ふ、密厳院
末社八大龍王、稲荷、疱瘡神

大日を安ず、密厳院より庵主を置けり
---
山王社
同持
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浅間社
厚福寺持
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天神社
實光院持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による高久蕎高神社の由緒

蕎高明神社(高久字北通)
鎮座地の高久は、中川沿いの自然堤防上に位置し、同じ堤防上に連なっている平沼・吉川・赤岩などと同様に中世村落の系譜を引く村である。地内には、中世の開山と伝えられる密厳院や当社境内の長禄四年(一四六〇)の板碑などがあり、古い開発を裏付けている。
当社の本社は、千葉県佐原市大倉にある側高神社で、古来、香取神宮の第一摂社とされており、同神宮と深いかかわりを持つ社である。
当社は
「風土記稿」に「蕎高明神社 村の鎮守なり、祭神は龍神、密厳院持、末社八大龍王 稲荷 疱瘡神 庵 大日を安ず、密厳院より庵主を置けり」とある。この文中に見える祭神の龍神は、水神信仰による創祀をうかがわせる。また、密厳院については末寺四ヶ寺、門徒寺一二か寺を支配した大寺であったことを載せている。二郷半領内に鎮座する蕎高明神社を同書に拾うと、当社のほかに保村と高富村(註:高富蕎高神社)に各一社があり、いずれも密厳院支配下の寺が管理していることから、蕎高明神社の勧請に密厳院がかかわっていたことが推察できる。
本殿には、元禄十一年(一六九八)屋根替え棟札、正徳三年(一七一三)密厳院法印祐憲寄進の金幣、厨子入りの観音菩薩像、文化十三年(一八一六)奉納の大般若経などがある。なお、大般若経の箱書きにある「願主深井善三郎」は、天正十八年(一五九〇)足立郡深井村から当地に来て新田を開発した深井左衛門尉景広の後裔と思われる。(「埼玉の神社」より)


高久蕎高神社の周辺図


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