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香取神宮|香取市香取の神社、下総国一の宮

香取神宮の概要

香取神宮は、香取市香取にある神社です。香取神宮は、神代に経津主命・武甕槌命が芦原中津国を平定、その子孫が香取・鹿島の両地に拠を構えて香取神宮・鹿島神宮を其々創建したといいます。弘仁3年(812)に再建、元慶6年(882)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も千葉氏や豊島氏が宣旨を受けて再造されてきたといいます。下総国一宮として延喜式神名帳には名神大社として記載されている他、明治4年には官幣大社に列格、昭和17年には勅祭社に治定されました。

香取神宮
香取神宮の概要
社号 香取神宮
祭神 経津主大神
相殿 -
末社 -
例祭日 勅祭4月14日
住所 香取市香取1697
備考 下総国一宮、延喜式神名帳大社、官幣大社、勅祭社

※香取神宮一鳥居画像は、「宇野」様よりの寄贈



香取神宮の由緒

香取神宮は、神代に経津主命・武甕槌命が芦原中津国を平定、その子孫が香取・鹿島の両地に拠を構えて香取神宮・鹿島神宮を其々創建したといいます。弘仁3年(812)に再建、元慶6年(882)には「五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て」、その後も千葉氏や豊島氏が宣旨を受けて再造されてきたといいます。下総国の一宮として延喜式神名帳には名神大社として記載されている他、明治4年には官幣大社に列格、昭和17年には勅祭社に治定されました。

「稿本千葉県誌」による香取神宮の由緒

官幣大社 香取神宮
香取郡香取町大字香取字亀甲山にあり、境内九千七百六十八坪、祭神は経津主命を主神とし、武甕槌命・天児屋根命・姫大神を合祀す。社傳を按ずるに神代草創の世に当りて経津主命・武甕槌命の二神芦原中津国を平定し、香取鹿島の両地に子孫を留めて東国の鎮とし給ふ。神武天皇紀元十八年始めて宮柱を此の地に建て、爾来歴朝国土経営の功勤を重じ、特に尊崇を厚くし祭典の礼を厳にしたまへり。舒明天皇三年始めて圭田を奉じ神礼を行ひ、皇極天皇二年三月水災に因りて勅使を遣し馬・錦・鋤・鍬を進められ、文武天皇の朝に本朝鎮守棟梁の号を賜ひ、勅して社殿を造営せしめらる。弘仁三年六月令して本宮及び住吉・鹿島の三神の神社に於ては二十年毎に正殿を改造すべき例を定め、承和三年五月正二位、同六年十月従一位、嘉祥三年正一意に叙せらる。元慶六年十二月九日、勅して本州の除税五千八百五十五把を神宮雑舎を造るの料に充て、延喜の時名神大社に列し、社殿造営及び祭祀用途の例を定めらる。爾来屡奉幣使あり、当時の神領方七里に亘れりと云ふ。養和元年十月源頼朝下福田郷を寄附し、建久八年社殿を造営し千葉常胤をして其の事を替せしむ。是より千葉・葛西・豊島の諸氏造営奉行たり。文永八年二月亀山天皇正一意勲一等の勅領を賜ひ、正平七年足利尊氏戸頭領を寄附し、文中元年十一月常陸及び本州諸要津の海夫並に戸ヶ崎・大堺・行徳等の関務を知行することを嘱す。宝徳丹念十一月足利義政書を下して本宮神領守護役臨時の課役等を除く、天正十八年豊臣秀吉、浅野長政、木村重茲をして制札を建てしめ郡卒の侵掠を禁ず。同十九年徳川家康香取郷の地千石を寄附して神領となし、後世をして違ふこと勿らしむ。元禄十一年徳川綱吉造営の工を起し、社殿以下悉く之を新造す、今存するもの是なり、此の時鳩鴿二千羽を社頭に放つ。嘉永六年十一月綸旨あり、異類退散の祈祷を行はしめ、爾後屡祈祷の綸旨あり、白銀及び御米を寄附せらる。明治元年十二月九日勅使下向、関東及び奥羽鎮定の報寶式あり、同三年宣命使坊城俊政大奉幣式を執行し、同四年十一月十五日大嘗会あり、是の歳官幣大社に列せらる。
明治三十七年二月十六日露国に対する宣戦の奉告祭を執行し、同三十八年十二月七日日露平和克復の奉告祭あり。同四十四年五月今上陛下東宮に在はせしとき、親しく参拝あらせられ、大正二年十一月八日皇太子裕仁親王並に皇子雍仁親王・宣仁親王の三殿下参拝あらせられたり。大正三年独逸に対する宣戦の奉告祭あり。同四年十一月御即位大礼報告祭を執行せらる。
社殿を分ちて正殿・拝殿・神楽殿・神饌所・楼門等とす、大華表三あり、第二・第三は社前数歩の間に在り、第一華表は北方十八町を隔てて津宮村利根川の畔にあり、里人濱の華表と称す。境内喬木蓊鬱として其の間に数十宇の摂社・末社相連り、規模荘厳なること詣拝者として粛然畏敬の念を起さしむ。本宮は本邦著名の大社にして、古文書の多きこと天下に冠絶すと云ふ。神寶も亦多く就中海獣葡萄鑑(直径九尺五分)は明治三十七年二月国寶に指定せらる。
本宮に属する摂社・末社は三十一座にして之を區別すれば左の如し。
一、側高神社、本郡奮大倉村に在り
一、返田神社、本郡奮返田に在り
一、大戸神社、本郡大戸村に在り
一、奥宮神社、本郡香取町に在り
一、忍男神社、本郡津宮村に在り
一、膽男神社、同上
一、鹿島神社、神宮境内に在り
一、匝瑳神社、同上
一、又見神社、本郡香取町に在り
以上九社を摂社とす。
一、天降・諏訪・花園・六所・(雨に霊)・竈・馬場殿・桜大刀自市の八座を境内末社とし、其の余の十四座を境外末社とす。
祭典中、例祭・祈年祭・新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進役として奉幣せしめらる。其の他歳旦祭・元始祭・紀元節祭・天長節祭等の中祭、軍神祭・大饗祭・白馬祭・射礼式・春季祭・御田植祭・流鏑馬式・秋季祭・賀詞祭・内陳御神祭・団喜祭等の小祭あり。
軍神祭は十二年毎に一回執行する盛典にして神輿津宮鳥居河岸より御船に乗じ、香取浦に神幸し佐原町を経て還宮す。供奉の人々武装を為し頗る古代の風を存す、傳へて神功皇后の征韓の役に擬するものなりと云ふ。(「稿本千葉県誌」より)


香取神宮所蔵の文化財

  • 香取神宮の森
  • 香取神宮古神宝類(千葉県指定有形文化財)
  • 天真正伝神道流始祖飯篠長威斎墓(千葉県指定史跡)

香取神宮の森

この地は古くから信仰の場として保護されてきたため、目通り幹囲り三メートルを越えるスギをはじめ、イヌマキ・モミなどの巨木が林立しており、落葉に埋れた古道や古井戸は往時の景観をしのばせている。また森の全景が亀に似ていることから亀甲山と称されている。
この森の高木層はスギで占めているが、亜高木層にはスダジイ・シラカシ・シロタモなどの常緑広葉樹が多くみられる。草木層にはアスカイノデ・フモトシダ・イワガネソウ・ベニシダなどのシダ類をはじめとしてリュウノヒゲ・ヤブラン・フウランなどの草木類が数多く自生している。
スダの老齢林としては県下でも有数であり、学術的にも貴重なものである。(千葉県・香取市教育委員会掲示より)

香取神宮古神宝類

古くから式の神として崇められてきた香取神宮の祭神の御料として数多くの神宝類が伝えられている。
海獣葡萄鏡(舶載)を含む、奈良から江戸時代にわたる三十九面の銅鏡とはじめ、神代盾と称される盾形鉄製品、天文十七年(1548)在銘の鉄釜・金銅扇形御正体・金銅扇・銅製供器類・大刀(銘利恒)・元和四年(1618)在銘の行器・寛正七年(1446)在銘の鏡筥・黒漆菊文様蒔絵手筥・潤漆手筥・黒漆手筥・螺鈿蒔絵藤文小筥・螺鈿蒔絵絵文櫛・櫛・狂言面・伝亀山上皇宸筆の木製神号額・香取古文書・旧源太祝家文書などがある。
これらの古神宝類は、美術工芸品として優れているばかりでなく、学術的価値という点からも大変貴重である。(千葉県・香取市教育委員会掲示より)

天真正伝神道流始祖飯篠長威斎墓

天真正伝神道流(香取神道流)は、室町時代に形成され、以来、中条流・影久流・鹿島神道流などが誕生し、わが国最古の権威ある流儀として知られている。始祖である飯篠長威斎家直は、旧飯笹村(現、香取郡多古町飯篠)に生まれ、後に、旧丁子村山崎(現、香取市)に住み、香取神宮境内の梅木山不断所で、剣法の奥義を極めたと伝えられている。
一時、将軍足利義政に仕えたが、帰隠し、長享二年(1488)四月十五日没した。
墓碑は緑泥片岩であり、上部を欠き、高さ九一センチ、幅四九・五センチで、「飯篠伊賀守長威大覚位」の影刻がある。(千葉県・香取市教育委員会掲示より)


香取神宮の周辺図


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