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奴伊奈利神社。熊谷市仲町の神社、奴稲荷、熊谷弥三左衛門伊奈利

奴伊奈利神社の概要

奴伊奈利神社は、熊谷市仲町にある伊奈利神社です。奴伊奈利神社は、熊谷次郎直実の守護神(弥三左衛門稲荷)として、元久2年(1205)た熊谷直実の邸内(熊谷寺内)に創建したといいます。明治2年の神仏分離令により熊谷寺から離れ、同じく熊谷寺にあった東照宮を合祀の上、鎌倉町八坂神社境内に遷座しましたが、明治31年旧社地(当地)に遷座、村社に列格していたといいます。

奴伊奈利神社
奴伊奈利神社の概要
社号 奴伊奈利神社
祭神 倉稲魂命
相殿 徳川家康公
境内社 -
祭日 -
住所 熊谷市仲町43
備考 -



奴伊奈利神社の由緒

奴伊奈利神社は、熊谷次郎直実の守護神(弥三左衛門稲荷)として、元久2年(1205)た熊谷直実の邸内(熊谷寺内)に創建したといいます。明治2年の神仏分離令により熊谷寺から離れ、同じく熊谷寺にあった東照宮を合祀の上、鎌倉町八坂神社境内に遷座しましたが、明治31年旧社地(当地)に遷座、村社に列格していたといいます。

境内掲示による奴伊奈利神社の由緒

勧由緒
当社の創建は元久2年(1205・鎌倉) である。
日ごろ稲荷神を深く信仰していた熊谷次郎直実は、戦場で数々の危難に遭っても、必ず熊谷弥三左衡門という武士によって助けられ、勝利を得た。余りの不思議さに直実が弥三左衡門にその素性を尋ねたところ「吾は、汝が信ずるところの稲荷明神なり。危難を救わんがために熊谷弥三左衛門と現じける」と言い、忽然と姿を消した。その霊威に感じた直実は、帰陣の後、熊谷寺境内に祠を設け稲荷大神を祀り、居城の鎮守とした。以来、当社は弥三左衛門稲荷と呼ばれるようになった。
その後、慶長年間(1596-1615・桃山)に熊谷寺中興の祖幡随意上人が社殿を再建し、享保4年(1719・江戸) には正一位の神位を受けた。
明治に入ると、神仏分離によって熊谷寺の管理を離れ、明治2年に鎌倉町の八坂神社境内に一旦遷し祀る。同31年9月に仲町有恵の奉賛と協力により、旧杜地(現在地)に遷座され、村杜として厚く信仰されるようになった。
合殿 徳川家康朝臣
維新前まで熊谷寺境内に東照宮が祀られていた。明治2年神仏分離に伴い、伊奈利神社へ合祀され、現在に至っている。
信仰
「奴稲荷」の通称と共に当社は子育ての神として名高く、地元の熊谷市はもとより、遺くは横浜・本庄・高崎など各地に崇敬者がおり、その霊験はあらたかであるという。
かつて、当社には、「稲荷様の奴(ご家来)と称し、病弱な子供は3年とか5年とかの期限を決めてその間月参りを欠かさず行えば必ず丈夫になるといわれ、その期間中は稲荷様に奉仕している印として、もみあげ(奴)を伸ばし、満期になるとそれを切って奉納する習慣があった。こうした習慣は戦後すっかり廃れてしまったが、奴稲荷の名の起こりとして覚えておきたいものだ。
また、当社は繁華街にあるため、商売繁昌の神としても古くから信仰されており、とりわけ花柳界の人々からの信仰が厚かった。往時は毎月8日が縁日で、旧中仙道から拝殿の前までずっと紅白の提灯を付けて、多くの参詣者で賑わったものであるが、関東大震災の後は町並みが大きく変わったため、縁日はやがて行われなくなった。
更に、国道17号の新道開通によって交通量が激増したため・昭和32年からは交通安全稲荷と称し、交通安全の神としても配るようになり、この方でも多くの崇敬者を得ている。
なお、昔から熊谷三社参りと称して・稲荷木伊奈利神社・高城神社・当杜の三社を巡拝することか盛んに行われた.現在でも篤志家により行われている。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による奴伊奈利神社の由緒

新編武蔵風土記稿には、熊谷寺の項に稲荷社として当社に触れています。

(熊谷町熊谷寺項)稲荷社
熊谷弥三左衛門稲荷と号す。境内の鎮守とす。(新編武蔵風土記稿より)


奴伊奈利神社の周辺図


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