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八坂神社。熊谷市鎌倉町の神社、熊谷うちわ祭り

八坂神社の概要

八坂神社は、熊谷市鎌倉町にある神社です。八坂神社は、大永2年(1522)大善院3世行源法師が京都愛宕神社を勧請して邸内に創建したといいます。文禄元年(1592)には市神・八坂・伊奈利の三神を合祀し、愛宕牛頭天王稲荷合社(新編武蔵風土記稿)と称したといいます。明治維新後に愛宕神社と改称、第二次世界大戦終了後に宇佐稲荷神社の境内であった当地に遷座したといいます。

八坂神社
八坂神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 軻遇突智命・須佐之男命・大市姫命・菅原道真公・事代主命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 熊谷市鎌倉町44
備考 熊谷うちわ祭り



八坂神社の由緒

八坂神社は、大永2年(1522)大善院3世行源法師が京都愛宕神社を勧請して邸内に創建したといいます。文禄元年(1592)には市神・八坂・伊奈利の三神を合祀し、愛宕牛頭天王稲荷合社(新編武蔵風土記稿)と称したといいます。明治維新後に愛宕神社と改称、第二次世界大戦終了後に宇佐稲荷神社の境内であった当地に遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による八坂神社の由緒

(熊谷町)大善院
本山派修験、葛飾郡幸手不動院配下、水原山と稱す、本尊不動を安置す
愛宕牛頭天王稲荷合社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による八坂神社の由緒

愛宕神社<熊谷市鎌倉町四四(熊谷字鎌倉町)>
『明細帳』によれば、当社は、大永年間(一五二一-二八)に本山派修験大善院の三世行源法印が山城国愛宕郡に鎮座する愛宕大神をこの地に勧請したことに始まるという。その後、文禄年間(一五九二-九六)に市神・八坂・伊奈利の三神を合祀し、「愛宕牛頭天王稲荷合社」として祀られるようになった。また、江戸時代には、享保年間(一七一六-三六)、宝暦年間(一七五一-六四)の二度火災に遭ったが、その都度、町の大々の協力によって社殿が再建されてきた。
明治に入ると、神仏分離によって大善院の管理を離れ、社号も現行の愛宕神社に改められた。一方、大善院も復飾して野口姓を名乗り、当社に奉仕を続けたが、太平洋戦争後は医業に専心することになり、代わって久下の栗原家が奉仕している。
昭和二十年八月十四日、大戦最後の空襲に見舞われ、熊谷の町は焼け野原になり、当社の社殿も三度灰燼に帰してしまった。当社の再建は、戦後の復興に合わせて行われ、まず国道一七号の拡張に伴って八木橋デパートの前にあった旧来の社地から秩父鉄道上熊谷駅のすぐ南にある現在の境内に移転し、ようやく昭和二十六年に社殿が再建された。元々、この境内地には、今は向かいにある宇佐稲荷神社が鎮座していたが、「愛宕様が移ってくるなら少しでも広い方がよかろう」ということで、同社が境内を譲って動いてくれたのだという。(「埼玉の神社」より)

「新編熊谷の歴史」による八坂神社の由緒

大永2年(1522)、大善院3世行源法師(鎌倉町の野口医院の先祖)は、火事の多かった熊谷の街の火災防止のため、京都の愛宕神社を勧請して邸内に祀りました。続いて文禄元年(1592)、疫病退散を祈って、京都の八坂神社を勧請してきて、市の発展と商売繁昌のための市神と伊奈利神とともに、愛宕神社に合祀しました。この八坂神社のお祭りが、現在のうちわ祭りとなりました。(「新編熊谷の歴史」より)


八坂神社の周辺図


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