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川越氷川神社。川越市宮下町の神社、旧県社

川越氷川神社の概要

川越氷川神社は、川越市宮下町にある氷川神社です。川越氷川神社は、大宮氷川神社を勧請して欽明天皇二年(540)に分祀奉斎したといい、川越の惣社として崇敬を集めたといいます。明治6年に郷社となり、大正12年には県社に昇格したといいます。

川越氷川神社
川越氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊・寄稲田姫命・大己貴命・脚摩乳神・手摩乳神
相殿 -
境内社 八坂神社、人丸社、稲荷社二社
祭日 例大祭10月14/15日
住所 川越市宮下町2-11-3
備考 旧県社



川越氷川神社の由緒

川越氷川神社は、大宮氷川神社を勧請して欽明天皇二年(540)に分祀奉斎したといい、川越の惣社として崇敬を集めたといいます。明治6年に郷社となり、大正12年には県社に昇格したといいます。

新編武蔵風土記稿による川越氷川神社の由緒

(宮ノ下)氷川社
祭神は五座素盞嗚尊・寄稲田姫命・大國主天神・脚摩乳神・手摩乳神今は手摩乳神を除きて四座なり、人皇三十代欽明天皇即位八年辛酉の秋、當社氷川を勧請すと云と、いかがはあるべき、例祭正月十五日、九月十五日行はる、中にも九月は十日より氏子のもの、よりつどひて頗るにぎはへり、昔は田楽・角力などを興行せしが、慶安元年より神輿をわたし同四年より萬度をいたし、又屋臺など云ものを大路をわたすとなり、元禄の後は彌さかりにして、上五町、下五町とわかち、きそひて種々の造物を出し、祭禮終りて十六日に至れば、各町々にて踊り舞ふことあり、これを俗に笠脱と云、これらの故事今に到るまでかならず、當社古より始終おとろへずして、神徳さかりなりしにや、昔太田道灌沙彌當社に在城せし頃、沙頭にまふでてよめる歌の詞書に、氷川の社に奉納の和歌をすすめられて、老らくの身をつみてこそ武蔵野々、草にいつまで残るしら雪
神輿蔵、神楽殿、供所
末社。天王社、三峰社、子権現社、天神社、八幡社、春日社、疱瘡神社、稲荷社、山王社、雷神社、人丸社。
神職山田伊織。吉田家の支配なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による川越氷川神社の由緒

氷川神社<川越市宮下町二-一一-三(川越字宮下町)>
当社は武蔵野台地の東北端、入間川及び荒川低地に半島状に突き出た川越支台上に鎮座している。現在、当地の東方に広がる低地の地下からは真菰や埋木などが発見され、往古、沼沢地であったことが知られる。また、当地は多くの古墳や住居址が散在するなど、古くから生活の場として開けた所でもある。なお、当社境内地から石剣が出土し現在神宝として秘蔵されている。
創建については、氾濫を繰り返し幾度も流れを変えて来た入間川を畏怖するとともに神聖視し、出雲の簸川にこれを見立て大宮の氷川神社より勧請したものと伝える。正徳年間の『氷川大明神縁起』には「人皇三十代天國押波流岐廣庭天皇(欽明天皇)即位八年辛酉之秋」に「入間之河中与利異晃夜々照ル」とあり、これは「当国足立郡之氷川大明神之為霊光」と人々は恐れ畏み、一社を設けて年ごとの祭事を行い、ここを里宮と定めたと伝えている。
祭神は、素盞鳴尊・奇稲田姫尊・大己貴尊・手摩乳尊・脚摩乳尊の五柱である。神像は正徳年間町年寄榎木家より奉納された。
中世に入ると長禄元年当地の要害を利用して太田道真、道灌父子の手により川越城が築城された。以来、当社は川越城の武士たちに厚く崇敬されるところとなり、殊に、道灌は『永享記』によると江戸の津久戸明神を通して当社を尊崇し、『慕景集』に次の献詠がある。
老いらくの身をつみてこそ武蔵野の草にいつまで残るしら雪
天文六年、川越城をめぐって一北条氏と上杉氏の間で、川越合戦が行われたことが『河越軍記』に記されている。この軍記に、当時の氷川神社の信仰を知ることができる記事があり「ここに日川の明神として戌亥にあたれる社なり、則人民惣社にあがめて往詣する事さりもあへず」とある。これにより、当時すでに川越の総社であったことが知られる。
天正一八年、徳川家康関東移封以来川越城は江戸城の備えとして重要な位置を占め、歴代の城主も幕府の重職が当たり、また、これらの城主は川越の総社として当社を崇敬し、代替りごとに社参して太刀や白銀などを奉納した。
(中略)
明治六年には郷社となり、同四一年神饌幣帛料供進社に指定され、大正一二年には県社に昇格した。 (「埼玉の神社」より)


川越氷川神社所蔵の文化財

  • 氷川神社本殿(埼玉県指定文化財)
  • 八坂神社社殿(埼玉県指定文化財)
  • 川越氷川神社例大祭(川越祭)

川越氷川神社の周辺図




埼玉県の霊園

花園むさしの浄苑