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南蔵院|練馬区中村にある真言宗豊山派寺院

南蔵院の概要

真言宗豊山派の南蔵院は、瑠璃光山医王寺と号します。南蔵院は、良弁僧都が永正年間(1504-1520年)或いは延文年間(1356-1361年)に開創したといいます。江戸期には12石8斗の御朱印領を拝領、西光寺(廃寺、中村八幡神社境内にあった)、大日堂(廃寺)を末寺に擁していました。古くから、万病にきく白龍丸を頒布し「南蔵院の投げ込み」として全国に広まっていました。御府内八十八ヶ所霊場15番札所、豊島八十八ヶ所霊場15番札所です。

南蔵院
南蔵院の概要
山号 瑠璃光山
院号 南蔵院
寺号 医王寺
住所 練馬区中村1-15-1
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来、不動明王、聖観世音
葬儀・墓地 -
備考 中村八幡神社のもと別当、御府内八十八ヶ所霊場15番札所、豊島八十八ヶ所霊場15番札所



南蔵院の縁起

南蔵院は、良弁僧都が永正年間(1504-1520年)或いは延文年間(1356-1361年)に開創したといいます。江戸期には12石8斗の御朱印領を拝領、西光寺(廃寺、中村八幡神社境内にあった)、大日堂(廃寺)を末寺に擁していました。

練馬の寺院による南蔵院の縁起

「新編武蔵風土記稿」には、「南蔵院、新義真言宗。上練馬村愛染院末。瑠璃山医王寺ト称ス。慶安2年薬師堂領12石8斗ノ御朱印ヲ賜ヘリ。縁起ヲ閲スルニ。永正年中僧良弁(良弁僧正トハ異ナリ)諸国ヲ霊場ヘ法華妙典ヲ納メ。志願畢リテ後当寺ニ錫ヲトドメ。妙経ヲ理テ一箇ノ塚トス。今村ノ中程ニ良弁塚ト称スルモノ是ナリ。然シテヨリ此寺ニアリテ修法怠ラサリシカバ其功空シカラザルニヤ。或日薬師ノ像ヲ感得セリ。ヨリテ堂宇ヲ興隆シ其像ヲ安置スト云。今ノ本尊是ナリ。秘仏トシ三十三年ニ一度龕ヲ開テ拝セシム。又当寺ヨリ白龍丸ト云薬ヲ出セリ。曽テ良弁カ夢中感得セル霊法ノ薬丸ナリ諸病ニ験アリト云。鐘楼門、所つ置く5年ノ鐘ヲカク。稲荷社。閻魔堂」「西光寺、本寺前ニ同シ。紫雲山弥陀院ト号ス。本尊阿弥陀」「大日堂、南蔵院持」「良弁塚。前ニ云経典ヲ埋メシ塚ナリ。古碑一基アリ。モトヨリ其頃立シモノトハ思レス。年月モ彫ラス。」とある。
「南蔵院由緒沿革」によると「新編武蔵風土記稿」に良弁僧都を永正年中(1504-1521)の人とするは誤りで、延文2年(1357)3月21日、此の地に経塚を築き供養を営み民衆を教化したと記してある。
ここは南に清池、北は鬱蒼たる森林で、古くから一仏堂があったが草創の時期は明らかでない。
文禄年中(1592-1596)火災にあい堂塔伽藍、諸記録をほとんど焼失。宝永4年(1707)、現存の薬師堂を再建。正徳5年(1715)梵鐘鋳造。宝暦3年(1753)寺内の設備を整え、現在の本堂、庫裡、閻魔堂等を完備した。その間古くから伝えた白龍丸を頒布し、世に「南蔵院の投込み」と称して全国に広まり明治10年(1877)頃売薬法取締規制の制定によって中止するまで南蔵院の経済的基礎となった。
江戸時代中期の頃から京都仁和寺末檀林所練馬愛染院の末寺となり、西光寺を当院の末寺とした。その後、明治5年(1872)に境外仏堂であった大日堂とともに西光寺を合併し、昭和15年(1940)本山奈良長谷寺直末となって今日に至っている。
本尊薬師如来は秘仏で三十三年ごとの開帳、聖観世音は一部後補されているが、藤原期の作で区内では古い仏像として挙げられる。
閻魔堂には病気平癒祈願成就によって奉納された15cmほどの木彫の地蔵尊が千体程、壁に並べてある。また薬師堂には、文化年間(1804-18)以来の絵馬が数多く残っている。
「過去帳」は文久4年(1864)に移されたもので、日めくりになっており、「元和2年正月妙正・・・」とあるのが最も古い。
鐘楼門は江戸時代中期と推定される様式で、正徳5年(1715)銘の梵鐘がかつて吊られていた。(「練馬の寺院」より)

練馬区教育委員会掲示による南蔵院の縁起

南蔵院は、山号を瑠璃光山、寺号を医王寺といい、薬師如来を本尊とする真言宗豊山派のお寺です。
当院の西北約500mにある良弁塚の石碑の文によれば、延文2年(1357)に良弁僧都が中興したと伝えられています。
良弁については詳しくは分かっていませんが、全国を行脚し、各地の寺にお経を奉納した後、当地に永住したといわれています。
境内には、古い建物や石造物などがあり、良弁塚から出土した経筒は寺宝として保存されています。また府内八十八ヶ所巡りの第十五番札所となっており、当院の格式が示されています。
明治9年(1876)11月に本堂を使って豊玉小学校が設置され、この場所で小学校の教育が行われました。
なお次の練馬区指定文化財が所在しています。
練馬区指定文化財
鐘楼門一棟
江戸時代中期の建築と考えられる区内唯一の鐘楼門(練馬区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による南蔵院の縁起

南蔵院
新義真言宗上練馬村愛染院末、瑠璃山医王寺と称す。慶安2年薬師堂領12石8斗の御朱印を賜へり。縁起を閲するに、永正年中僧良弁(良弁僧正とは異なり)諸国の霊場へ法華妙典を納め、志願畢りて後当寺に錫をとどめ、妙経を埋て一箇の塚とす。今村の中程に良弁塚と称するもの是なり。然してより此寺にありて修法怠らさりしかば、其功空しからさるにや、或日薬師の像を感得せり。よりて堂宇を興隆し其像を安置すと云。今の本尊是なり。秘佛とし三十三年に一度龕を開て拝せしむ。又当寺より白龍丸と云薬を出せり。嘗て良弁が夢中感得せる霊法の薬丸なり。諸病に験ありと云。
鐘楼門、正徳5年の鐘をかく。
稲荷社、。閻魔堂(新編武蔵風土記稿より)


南蔵院所蔵の文化財

  • 南蔵院鐘楼門(練馬区有形指定文化財)

南蔵院の周辺図

参考資料
  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)