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亀塚稲荷神社|港区三田の神社

亀塚稲荷神社の概要

亀塚稲荷神社は、港区三田にある三田台町・聖坂沿いにある小社です。亀塚稲荷神社の創建年代は不詳ですが、「更級日記」の竹柴物語中にある酒壺の下に住んでいた白色の靈亀を祀っていたといい、太田道灌が物見台を設置する際に、この祠を神社として創建したといいます。明治5年功運町の氏神としたといいます。

亀塚稲荷神社
亀塚稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦御魂命、伊邪那岐命、伊邪那美命
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭日5月9日・10日
住所 港区三田4-14-18
備考 -



亀塚稲荷神社の由緒

亀塚稲荷神社の創建年代は不詳ですが、「更級日記」の竹柴物語中にある酒壺の下に住んでいた白色の靈亀を祀っていたといい、太田道灌が物見台を設置する際に、この祠を神社として創建したといいます。明治5年功運町の氏神としたといいます。

「芝區誌」による亀塚稲荷神社の由緒

亀塚稲荷神社 三田功雲町
祭神 宇賀乃魂命、伊邪那岐命、伊邪那美命。
「更級日記」の竹柴物語中にある酒壺の下に栖んでゐた白色の靈亀を神に祀つたのが當社の起源である。其酒壺の靈亀は或夜一塊の石に化したと傳えられてゐるが、この靈石は今も尚ほ保存してゐる。元は舊華頂宮家邸内の亀山上に鎮座してゐたが、明治初年、現在の地に遷座した。
同社内には板碑がある。其大きなものは高さ一尺許り、小さいものは八寸ぐらゐ。其建札に「天正十四年二月荏原郡上大崎字鳥久保四一五鈴木良輔邸より遷座、加免塚神、文永三年一座(六百六十年前)、正保二年一座(六百十年前)、延文六年一座(五百七年前)、年號不明」とある。(「芝區誌」より)

東京都神社名鑑による亀塚稲荷神社の由緒

昔、月の岬(現在の三田台町)に出没した亀が、一夜の嵐に石と化した。里人この亀の霊を祀り祠を設けた。のち太田道灌がこの地に物見台(燈台)を置いた時、この祠を守護神として一社を創立する。いつかこの社を亀塚稲荷と称し、尊崇するようになった。宝暦四年(一七五五)三田功運町功運寺内に、寺の要請により移転(『江戸名所図会』にあり)鎮座。明治五年神仏分離のさい神体の霊亀が紛失、宇迦御魂命、伊邪那岐、伊邪奈美命三柱を祭神と改め、功運町の氏神とした。昭和八年篤志なる歴史家により霊亀の所在判明、十一月十四日当神社に遷る。社宝として社殿内に祀ったが、昭和の戦時境内地中に鎮め難をまぬかれた。戦後ふたたび社殿の中に戦前と同様に斎き祀る。昭和五十二年新社殿が完成。これを機に再度御神体として霊亀を祀る。霊験いちじるとして参拝者多い。(東京都神社名鑑より)


亀塚稲荷神社所蔵の文化財

  • 弥陀種子板碑

弥陀種子板碑

全国でも中世の関東地方に著しい信仰の特徴といわれる板状の秩父青石、すなはち緑泥片岩に刻まれた供養塔である。
弥陀を表す記号(種子)を上部に刻み、頂部を山状に切りだした秩父型の板碑三基には、それぞれ「文永3年(1266)12月」「正和2年(1313)8月」「延文6年(1361)」の造立年が陰刻されており、特に文永3年の刻銘は、港区に現存する板碑の中では最古である。
これらの板碑は、以前は当神社附近にあったものとも、荏原郡上大崎(現品川区上大崎)にあったものともいわれている。
なお、境内には他に二基の板碑があるが、これらは磨耗がはげしく、造立年などを知ることはできない。(港区教育委員会掲示より)

亀塚稲荷神社の周辺図

参考資料
  • 東京都神社名鑑
  • 「芝區誌」