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水元神社|葛飾区西水元の神社、旧猿ヶ俣村鎮守

水元神社の概要

水元神社は、葛飾区西水元にある神社です。水元神社の創建年代は不詳ですが、古くから水元猿町の鎮守として香取社が祀られていたといい、明治6年には郷社に列格していたといいます。水元公園建設のため、町内の浅間(葛三橋南詰麓、水元猿町2613)・熊野神社・吾妻神社・天祖神社の四社を合祀して水元神社と改称したといいます。

水元神社
水元神社の概要
社号 水元神社
祭神 経津主命、伊邪那美命、橘姫命、木花咲耶姫命、倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
例祭日 7月1日、9月20日
住所 葛飾区西水元6-16-12
備考 旧猿ヶ俣村鎮守



水元神社の由緒

水元神社の創建年代は不詳ですが、古くから水元猿町の鎮守として香取社が祀られていたといい、明治6年には郷社に列格していたといいます。水元公園建設のため、町内の浅間(葛三橋南詰麓、水元猿町2613)・熊野神社・吾妻神社・天祖神社の四社を合祀して水元神社と改称したといいます。

葛飾区神社調査報告による水元神社の由緒

当社の社地には従来から水元猿町(旧猿ヶ俣村)の鎮守香取神社があり、近年これに町内の浅間・熊野・吾妻・天祖の四社を合祀して、社号を水元神社と改めたのである。旧村内の神社に関しては、「新編武蔵風土記稿」猿ヶ俣村の条に「香取社 村ノ鎮守ナリ。この余、別ニ旧地アリ。遍照院持。下四社同シ。金山権現社 東権現社 浅間社 氷川社 弁天社 村民持 末社 稲荷」といい、「葛西志」猿加又村の条には、香取社・元香取社・氷川社・富士浅間社・弁天社・金山権現浅間社の六社を挙げ、「東京府志料」猿ヶ俣村の条には「香取神社 村ノ鎮守ナリ。明治6年3月郷社トナル。末社ニ宇。社地150坪、摂社2座 一ハ社地130坪 一は社地100坪」とある。
経津主命を祭神とする香取神社は、古くこの地が下総国香取神社の役領であった関係からの勧請であろう。至徳4年(1384)の官符に「武蔵国猿俣関務事、香取大禰宜長房、如先規可令成敗」といい、「香取文書」の「造営所役注文」に「一宝殿一宇 猿俣所役壱岐入道」、「猿俣郷 籾15石、布4段・絹1疋4丈」、「関白家御教書」に「香取大禰宜長房申、武蔵国猿俣関務事、申状具書如是」とあるのは、いずれも猿俣が香取神宮の役領であったことを示している。もと境内に天明8年(1788)3月、村内の植原武八の奉祀した植原稲荷社と享保6年(1721)造立の猿田彦大神の石祠があった。
木花咲耶姫命を祭神とする浅間神社はもと当社の北東700メートル、水元猿町2613、大場川に架かる葛三橋の南詰にあり、境内に稲荷社があったが、昭和46年12月、社地が東京都の水元公園の敷地として買収されたことが端緒となって、次の熊野・吾妻二社を含めた合祀の議が起こったのである。伊邪那美命を祭神とする熊野神社はもと当社の西650メートル、水元猿町2082にあり、橘姫命、金山彦命、木花咲耶姫命を祭神とする吾妻神社はもと当社の北西約1100メートル、水元猿町2330、町の北西隅、中川沿いにあった。昭和47年3月水元神社社殿御遷宮奉賛会が結成され、新社殿の向かって右に移して、水元猿町出身の戦没者の英霊を祀る招魂社とし、当社の南西600メートルにある天祖神社は当社の境内末社となった。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)


水元神社の周辺図


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