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亀有香取神社|葛飾区亀有の神社、旧亀有村鎮守

亀有香取神社の概要

亀有香取神社は、葛飾区亀有にある香取神社です。亀有香取神社は、建治2年(1276)本宮の分霊を勧請して創建したと伝えられ、江戸時代には亀有村の鎮守となっていた他、太平洋戦争終戦まで村社に列格していたといいます。

亀有香取神社
亀有香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主神
相殿 武甕槌命、岐命
境内社 神明社、白山権現社、松山稲荷神社、浮洲稲荷神社、道祖神、遠呂智神社、諏訪神社、水神宮
例祭日 9月18日・19日
住所 葛飾区亀有3-42-24
備考 旧亀有村鎮守、旧村社、旧別当恵明寺



亀有香取神社の由緒

亀有香取神社は、建治2年(1276)本宮の分霊を勧請して創建したと伝えられます。江戸時代には亀有村の鎮守となっていた他、太平洋戦争終戦まで村社に列格していたといいます。

葛飾区神社調査報告による亀有香取神社の由緒

旧亀有村は古くは亀無郷と呼ばれ、下総国香取神宮の神領地であり、当社は建治2年(1276)本宮の分霊を勧請して郷の守護神としたものであると伝えられる。「新編武蔵風土記稿」亀有村の条には「香取社 村ノ鎮守ナリ。貞和元年ノ勧請ト云。恵明寺持。下持同シ。 ○浮洲明神社 ○明神社 ○白山社 ○稲荷社ニ」とあり、創始の年時を貞和元年(1345)としているが、建治二年はたまたま同書に記する旧別当恵明寺の開創の年時と同じである。浮洲明神社以下は今、当社の境内社となっている。
社地は元禄8年(1695)の「亀有村検地水帳」に、境内外地537坪を除地と記してあるから、当寺は広大な社地をもっていたことがわかる。社殿は慶安4年(1651)・宝永2年(1705)・万延元年(1860)および明治20年に改築され、現社殿は昭和42年9月の造営である。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)


亀有香取神社の境内社

松山稲荷神社

一間社、桟瓦葺。元和元年(1615)鎮座。元禄8年の検地帳には、社地925坪、除地畑1反9畝18歩とある。社殿は明治13年、田中岩右衛門の再建、明治32年、砂原高木神社の西側から遷座。社殿の裏に存する。

浮洲稲荷神社

一間社、仮葺。元禄8年の検地帳には、除地13坪とあり、石祠は延享3年(1746)別当真福寺法印英亮代の再建であった。明治41年、恵明寺池付近から遷座。社殿の裏に存する。

道祖神社

一間社、屋根切妻銅板葺。前の伊豆石製明神鳥居に「天明ニ壬寅十一月戊辰日建立之 当所講中村々寄進 大願主 法印栄山 書間仁右衛門」と刻する。もと古上水西千間掘の北端に鎮座されていたが、明治41年当社に合併、大正14年11月堂宇が再建された。<どうろくじんさま>として信奉されている。西参道の右側にある。

水神社

一間社流造。銅板葺。旧社宇は寛政11年(1799)11月、村の矢沢佐兵衛の再建したものであった。もと香取神社の境内社として中川端西詰新堤防の内側にあったが、社殿の向かって右側に移された。

亀有香取神社所蔵の文化財

  • 玄恵井の碑(葛飾区登録文化財)
  • 亀形瓦一対(葛飾区登録文化財)

亀形瓦一対

旧亀有村は昔「亀無」又は「亀梨」と呼ばれていました。当時の葛西御厨(神領の一種)の範囲と所領高を明記した応永5年(1398)の「下総国葛西御厨注文」や、北条氏が家臣らに諸役を賦課するために各人の役高を記した永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」にはいずれも「亀無」「亀梨」の記載がみられます。「亀有」となった由来は定かではありませんが、「なし」の意味を嫌ったものだと思われます。正保元年(1644)江戸幕府による「正保改定図」の製作から「亀有」としたようです。
万延元年(1860)建立の旧社殿の棟瓦として両端に於かれていた亀形瓦は阿吽一対で、向って右側の「阿形」の亀は首を左へ、左側の「吽形」の亀は首を右へ曲げ、いずれも正面に向くようになっています。
製作年代や作者は伝承がなく無銘のため明らかではありませんが、「亀有」という地名に因んだ亀を象った棟瓦は珍しい例として注目されます。
現在は葛飾区郷土と天文の博物館に寄託されています。(葛飾区教育委員会掲示より)


亀有香取神社の周辺図


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