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金泉寺。相模原市中央区下九沢にある真言宗智山派寺院

金泉寺の概要

真言宗智山派寺院の金泉寺は、九澤山根生院と号します。金泉寺は、多奈久坐和という武士が田名の葛輪にが「金泉庵」という庵を弘仁3年(812年)に結び、娘の湖年姫が庵主となったと伝えられ、応永9年(1402)に源秀師が当地に移転の上、金泉寺として開山したといいます。

金泉寺
金泉寺の概要
山号 九澤山
院号 根生院
寺号 金泉寺
本尊 薬師如来像
住所 相模原市中央区下九沢652
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



金泉寺の縁起

金泉寺は、多奈久坐和という武士が田名の葛輪にが「金泉庵」という庵を弘仁3年(812年)に結び、娘の湖年姫が庵主となったと伝えられ、応永9年(1402)に源秀師が当地に移転の上、金泉寺として開山したといいます。

平成さがみはら風土記稿による金泉寺の縁起

金泉寺は、バス停「下九沢」より東へ300mにある真言宗智山派の寺院です。
『風土記稿』によると、薬王院(八王子市高尾)の末寺で、山号を九澤山といい、薬師如来を本尊としています。
また、開山を源秀〔応永9年(1402)没〕としています。
この創建について寺伝では、弘仁3年(812)に多奈久坐和という武士が田名の葛輪に「金泉」という-庵を結び、その三女の湖年姫が仏門に入って庵主となったと伝えています。
その後、荒廃していたものを応永9年(1402)に源秀が現在地に再建し、薬師如来を安置して医王山薬師院金泉寺と改称して中興したとしています。また、源秀は同時に蔵王権現を勧請していますが、これは現在の御嶽神社のことで金泉寺が別当でした。ちなみに慶安2年(1649)には6石1斗余の朱印地が与えられています。
なお、当時は境内に七観音を祀る観音堂があり、ほかにも日宮・山王社・稲荷社などを持っていたことがわかります。
また、寺小屋も開かれ、地域の教育の場として親しまれていました。
境内には市内で最も大きな寛保3年(1743)造立の宝篋印塔や、明治時代に活躍した下九沢出身の政治家、山本作左衛門の記念碑もあります。(平成さがみはら風土記稿より)

相模原市観光協会掲示による金泉寺の縁起

金泉寺
この寺は、山号を「九澤山(くざわさん)」といい、真言宗高尾山薬王院の末寺です。縁起によると、弘仁3年(812年)田名の尼僧が「金泉庵(こんせんあん)」という庵を結び、これを数百年後に源秀(げんしゅう)師が現在の地に移し、「金泉寺」として開山したと伝えられています。(相模原市・相模原市観光協会掲示より)

新編相模國風土記稿による金泉寺の縁起

(下九澤村)金泉寺
九澤山根生院と號す、新義真言宗、武州多磨郡上椚田村薬王院末、開山源秀應永九年三月十五日卒、本尊薬師。
観音堂。七観音を置。
塚二。一は西の方にあり、供養塚なり、一は中程にあり共に高さ六尺餘。(新編相模國風土記稿より)


金泉寺の周辺図