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女躰大神。川崎市幸区幸町の神社

女躰大神の概要

女躰大神は、川崎市幸区幸町にある神社です。女躰大神の創建年代は不詳ながら、当地旧南河原村は大田区六郷の農民が移住して開拓、氾濫を鎮めるために身を投じた女性を祀り、村の鎮守社としたといいます。明治6年村社に列格していました。南河原村の名称は、多摩川の南側にあたることから名づけられたといいます。

女躰大神
女躰大神の概要
社号 女躰大神
祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命
相殿 誉田別命、天照皇大神、建御名方大神
境内社 -
祭日 秋大祭8月第三日曜日
住所 川崎市幸区幸町1-994
備考 女躰神社幼稚園併設



女躰大神の由緒

女躰大神の創建年代は不詳ながら、当地旧南河原村は大田区六郷の農民が移住して開拓、氾濫を鎮めるために身を投じた女性を祀り、村の鎮守社としたといいます。明治6年村社に列格していました。南河原村の名称は、多摩川の南側にあたることから名づけられたといいます。

新編武蔵風土記稿による女躰大神の由緒

(南河原村)女體権現社
村の東南の方にあり、本社六尺に七尺、覆屋二間に一丈、拝殿二間に三間あり、前に石鳥居を建、村の鎮守にして例祭毎年九月十九日、當村寳蔵院持なり。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による女躰大神の由緒

創立年月不詳であるが口碑の伝うる処に依れば、往古女躰権現と称え南河原村宝蔵院が別当職であった。当村は元荏原郡八幡塚村の農民が移住して開墾に従事していたもので当初僅かに二戸であったが、其の後民家次第に増加し永禄年間十数戸を有するに至った。地勢が多摩川の南にあったので南河原と称えたという。然るに多摩川の土砂堆積の為か年々出水甚だしく、沿岸の耕地を浸し洪水毎に流域に変化を来し、非常なる災害を蒙り遂に一村離散の止むなき悲境に立ち至った。
此の時に当り一人の女丈夫、水中に投じて一身を犠牲に供したため、其の後大なる災害もなく住民漸く安堵し、大いに其の徳を慕い、壮烈なる行為を後世に永く伝えんため多摩川側なる俗称「にこにこ松」の下に一祠を建て其の霊を祀ったという。其の後現在の位置に移し遷祀した。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による女躰大神の由緒

創立年代不詳なるも口碑の伝うる処に依れば永禄年間より女躰権現と称へられ、南河原村宝蔵院が別当職でありました。当村は武蔵国荏原郡八幡塚の農民が移住し開墾に従事し民家次第に増加したのであります。この地は多摩川の南側にありましたたので南河原村と名づけられたとのことであります。地形多摩川の辺りの為降雨のたびごとに多摩川の土砂堆積し田畑への冠水甚だしく、洪水の都度流域が変化し、常に大きなる災害を蒙り遂に農耕が不可能な状態になりました時一人の女丈夫水中に身を投じ、一身を犠牲に供せられし、その後は大なる災害もなく住民漸く安堵し、農耕に励むことが出来る様になりました。これも女丈夫の大なる御徳のおかげと敬慕してその偉業を称え又後世に伝えるため多摩川の辺りの俗称「ニコニコ松」の下に一祠を建立してその御霊を祀りました。その後現在置に鎮め奉る境内に完成五丑歳四月吉日奉納宝前氏子中の鳥居及び御手洗あり。
(中略)
明治六年村社に列格
大正十一年神饌幣帛供進指定村社に列格(境内掲示より)


女躰大神の周辺図


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