猫の足あとによる川崎市の寺院、神社など川崎市の寺社案内 猫の足あとによる川崎市の寺院、神社など川崎市の寺社案内
猫の足あと

上丸子日枝神社。川崎市中原区上丸子の神社

上丸子日枝神社の概要

上丸子日枝神社は、川崎市中原区上丸子にある神社です。上丸子日枝神社の創建年代は不詳ですが、大同4年(809)に山王権現の分霊を勧請して創建したと伝えられます。江戸時代には山王社と称し、寛永19年(1642)には江戸幕府より社領20石の朱印状を拝領していたといいます。大正7年、村内の八幡社・天神社・大六天社・熊野社・神明社・諏訪社・杉山社を合祀しています。

上丸子日枝神社
上丸子日枝神社の概要
社号 日枝神社
祭神 大己貴命
相殿 家都御子神、建御名方神、応神天皇、天照大御神、菅原道真、日本武尊
境内社 大鷲神社、稲荷神社
祭日 例大祭9月14・15日
住所 川崎市中原区上丸子山王町1-1555
備考 -



上丸子日枝神社の由緒

上丸子日枝神社の創建年代は不詳ですが、大同4年(809)に山王権現の分霊を勧請して創建したと伝えられます。江戸時代には山王社と称し、寛永19年(1642)には江戸幕府より社領20石の朱印状を拝領していたといいます。大正7年、村内の八幡社・天神社・大六天社・熊野社・神明社・諏訪社・杉山社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による上丸子日枝神社の由緒

(上丸子村)山王社
村の東方にあり、御朱印20石。本社2間に3間幣殿2間に2間半。拝殿は2間半四方。前に鳥居を立つ。鎮坐の初は詳かならず。御朱印を賜ひしは寛永19年8月17日なり。当社の縁起あれど後人付会せしものとみえて取べきことなし。ことに貞治庚申などあらぬ年号をしるしぬれば考ふるによしなし。もし貞治は治承の誤にて支干は更に誤り載せしにや。是のみならず其載する所何れもうけがひ難きことともなればここにのせず。
寶物剣一振。長さ僅に9寸5分なり銘はなし。
鎗一筋。銘日向守正氏の五字えりたり。これらは小松内大臣重盛の納めたりといへどもたしかなることをしらず。
古文書二通(略)
駒形社、本社に向て左にあり。9尺四方。
稲荷社、本社に向て右にあり、1間四方。
釈迦堂、境内にあり。是は村内大楽院の持。
神主山本丹波。吉田家の配下なり。いづれの頃より当社の神主となりしや家系を傳へざれば詳ならず。按に社傳にも神宮寺の名は見え神主のことは記さず。旦社地の釈迦堂は村内大楽院の持なれば、昔は当社も大楽院の持にて山本氏の神主となりしは遥に後のことなりと土人いへり。今は大楽院にては当社のことにはあづからず。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による上丸子日枝神社の由緒

社伝によれば、桓武天皇の衛嫡子、貞恒親王次男恵恒僧都、即ち山本平左衛門尉恒重は弟次郎左衛門尉恒明と共に山王権現(日吉大社西本宮)も御分霊に供奉して、美濃国赤坂、尾張国熱田神宮を経て、次第に関東に下向、武蔵国稲毛庄河崎村守山から、丸子の地に御鏡座された。時に大同四年(八〇九)六月十四日であり、御供周として上丸子村、下丸子村、今井村が社領となっ先のはその時以来であるという。その後治承二年五月上旬、平重盛公社殿を再建し、九寸五分の御釦を奉納せられたと伝える。寛永十九年以後御朱印二十石を領した。(神奈川県神社誌より)


上丸子日枝神社所蔵の文化財

  • 日枝神社古文書
  • 神社本殿

上丸子日枝神社の周辺図


大きな地図で見る