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五社神社。綾瀬市早川の神社

五社神社の概要

五社神社は、綾瀬市早川にある神社です。五社神社は、日本武尊東征の折に当地に五朶の榊を樹て、地神五代を創祀して五頭の宮と崇められたのが創始だと伝えられ、正和2年(1313年)、三井の門徒浄覚大徳が社殿を再建、五社明神社と称したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より社領13石の御朱印状を拝領、明治6年村社に列格、昭和12年五社神社と改称・郷社に列格したといいます。境内には、日本武尊東征の折に日本武尊が腰かけたという日本武尊御腰掛石や、亀井山と呼ばれていた当地の亀ノ尾ノ井が残されています。

五社神社
五社神社の概要
社号 五社神社
祭神 天照皇大神、天忍穂耳尊、天津彦火瓊々杵尊、彦火火出見尊、鵜草葺不合尊
相殿 -
境内社 疱瘡稲荷神社、渋谷神社
祭日 -
住所 綾瀬市早川1603
備考 -



五社神社の由緒

五社神社は、日本武尊東征の折に当地に五朶の榊を樹て、地神五代を創祀して五頭の宮と崇められたのが創始だと伝えられ、正和2年(1313年)、三井の門徒浄覚大徳が社殿を再建、五社明神社と称したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より社領13石の御朱印状を拝領、明治6年村社に列格、昭和12年五社神社と改称・郷社に列格したといいます。

新編相模風土記稿による五社神社の由緒

(早川村)五社明神社
地守五座を祀る、故に此名あり。神体は倶に木像村の鎮守なり。例祭九月十五日、社地の形状古は亀に肖たるをもて亀居山と呼べりと云。今も社後に尾ノ井と号する御手洗池あり。是亀ノ尾ノ井の略語なり、潤四間巾一丈余。慶安二年八月社領十三石の御朱印を寄らる。
本地堂。軍茶利夜叉明王を安ず。
末社。天神、地神、稲荷、牛頭天王、妙見、三峯。
日本武尊腰掛石華表の側にあり、径二尺許、其形土峰に似て青白色なり。尊東征の時憩ひし所なりと云。
別当寶像院。本山修験聖護院末。早川山軍茶利寺と号す。開山浄覚、園城寺の衆徒なりと云。中興乗融、承応四年四月十五日卒。本尊不動を安ず。(新編相模風土記稿より)

境内掲示による五社神社の由緒

人皇第十二代景行天皇の皇子日本武尊、御東征の折に当地(当時は亀井山と伝う)に五朶の榊を樹て、地神五代を創祀して五頭の宮と崇められたのが始めであるといわれている。第九十五代花園天皇の正和二年の春(約六八〇年前)、三井の門徒浄覚大徳が社殿を再建して氏人たちは五社の宮と仰ぐようになった。
鎌倉時代の武将早川城主渋谷重国の一族は精神的な依りどころとして五所宮(現在の五社神社)を崇敬せられしこと渋谷定心の置文により明らかである。
慶安二年八月、徳川三代将軍家光公より社領十三石の御朱印を寄せられる。
明治六年十二月、村社に列せられ、大正五年十月十三日、幣帛供進神社に指定。
昭和十二年六月二十五日、五社大明神を五社神社と改称仝年十月六日、郷社に列せらる。
昭和五十九年五月二十二日、皇太子殿下浩宮様神奈川県下の史蹟御研究のみぎり当社に御来社になり御参拝遊ばさる。昭和六十一年十月一日、神奈川県神社庁指定神社に昇格。(境内掲示より)


五社神社所蔵の文化財

  • 尾ノ井
  • 日本武尊腰掛石

尾ノ井

五社神社の境内の形が亀の甲に似ており、池が、その尾の位置にあるので、亀ノ尾ノ井が尾ノ井と呼ばれるようになりました。
高い所にある湧き水の池で、古くは飲み水になったり、田の用水になったり、雨乞行事に用いられたりしました。
また、これにまつわる昔話なども伝えられています。(綾瀬市教育委員会掲示より)


五社神社の周辺図


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