岸八幡神社。足柄上郡山北町の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

岸八幡神社。河村城主河村秀高公が城内に創建

岸八幡神社の概要

岸八幡神社は、足柄上郡山北町にある神社です。岸八幡神社の創建年代等は不詳ながら、河村城主河村秀高公が城内に建立、その年代は河村秀高公が開基した般若院の創建年承安2年(1172)年前後ではないかと推定されています。河村城が廃城となった後、岸湯坂梵天山山下へ、その後更に当地へ遷座し、村の鎮守として祀られてきたといいます。岸八幡神社のくすのきは、樹齢300年と推定され、山北町天然記念物に指定されています。

岸八幡神社
岸八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 應神天皇
相殿 菅原道真公、倉稲魂命、素戔嗚命、大己貴命、大山祇命、月夜見命、大山咋命、天兒屋根命、建御名方命、木花咲耶姫命、大日孁貴命、白山彦命、白山姫命
境内社 -
祭日 例大祭4月第一日曜日
住所 足柄上郡山北町岸1900
備考 -



岸八幡神社の由緒

岸八幡神社の創建年代等は不詳ながら、河村城主河村秀高公が城内に建立、その年代は河村秀高公が開基した般若院の創建年承安2年(1172)年前後ではないかと推定されています。河村城が廃城となった後、岸湯坂梵天山山下へ、その後更に当地へ遷座し、村の鎮守として祀られてきたといいます。

境内掲示による岸八幡神社の由緒

『新編相模国風土記稿』(一八四一年)によれば八幡宮は「村の鎮守、本地佛三尊弥陀を安ず、三年に一度祭祀を行ふ、祭日は八月十五日、往古は城山に在しを、後年此地日月宮の社地に移せしなりと云」と云う。加えて『般若院智積寺』の所有する貞享二年(一六八五年)当代十一代傳栄和尚の筆による縁起より抜粋すれば「河村岸の鎮守八幡大菩薩は、往古、河村城山の城主河村秀高公が城内に建立せられ、建立の年代は不詳なれども、秀高公開基菩提寺般若院智積寺の建立が高倉天皇(一一六一~一一八一)の御宇承安二年(一一七ニ年)なる故、同年代を遠く離るに非ず。その後、正平八年四月一日(一三五三年)、河村城廃城するや、岸湯坂梵天山山下に遷し、更にその後、現在地字岸西登戸、日月宮の社地に遷し奉り、村の鎮守の宮として村民の崇敬する所となれり」とある。(境内掲示より)

神奈川県神社誌による岸八幡神社の由緒

新編相模風土記稿によれば「村の鎮守。三年に一尾祭祀を行なう。祭日は八月十五日。往古は城山にありしが、後年此の地日月宮の社地に移せしなり、村民所蔵の古図によればはじめ河村城内にあり、後梵天山に遷し後今の地に移せし」とある。(神奈川県神社誌より)

新編相模国風土記稿による岸八幡神社の由緒

(川村岸)
八幡宮
村の鎮守、本地佛三尊彌陀を安ず、三年に一度祭祀を行ふ、祭日は八月十五日、往古は城山に在しを、後年此地日月宮の社地に移せしなりと云、今村民所蔵の古圖(彼村の條に、縮圖あり、併せ見べし)に據れば初河村城内(今川村山北の屬地)にあり、後梵天山(今此名を失す、其地小名湯坂の東方に當れり、)下に遷し、其後今の地に移せしと見え拝殿・幣殿あり、村民持、
△末社。日月宮(地主神と云、)(新編相模国風土記稿より)


岸八幡神社所蔵の文化財

  • 八幡神社のくすのき(山北町指定天然記念物)

八幡神社のくすのき

くすのき(樟、楠)はクスノ木科の常緑高木、関東以南の暖地に産し、五月頃白色の小花をつける。
材は堅く、独特な薫りがあり、樟脳や樟脳油などがとれ、建築材や船材としても使われる。
八幡神社のくすのきは樹高約二〇メートル、根廻り七、二メートル、樹齢三〇〇年(推定)である。
その姿は根本から約六メートルのところで大きく二つの幹に分かれ、しかも斜めに張り出した巨木でその葉は幹がかくれる程茂っていて樹勢は旺盛である。
又、根本の小枝は関東大震災(大正十二年九月一日)によって根本がさけて、その先端から生じたもので学術的にも貴重な現象である。郷土の貴重な天然記念物として、指定し、保護するものである。(山北町教育委員会掲示より)

岸八幡神社の周辺図