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妙泉寺|江戸川区谷河内にある日蓮宗寺院

妙泉寺の概要

日蓮宗寺院の妙泉寺は、常谷山と号します。妙泉寺は、正善院日喜上人が開山、名主長左衛門の先祖智光院常光日恵が開基となり、寛永11年(1634)当地に創建したといいます。

妙泉寺
妙泉寺の概要
山号 常谷山
院号 -
寺号 妙泉寺
住所 江戸川区谷河内1-6-12
本尊 -
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 永代供養墓久遠廟
備考 -



妙泉寺の縁起

妙泉寺は、正善院日喜上人が開山、名主長左衛門の先祖智光院常光日恵が開基となり、寛永11年(1634)当地に創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による妙泉寺の縁起

(谷河内村)妙泉寺
法華宗、下総国葛飾郡平賀村本土寺末、常谷山と号す。三寶を本尊とせり。開山日喜は寛文2年起立する所なり。開基は村内名主長左衛門の先祖にして、法名智光院常光日恵と云。(新編武蔵風土記稿より)

江戸川区教育委員会掲示による妙泉寺の縁起

妙泉寺は日蓮宗の寺院で、常谷山と号します。江戸時代には谷河内村に属しており、千葉県松戸市平賀にある本土寺の末寺でした。開基は名主をつとめていた長左衛門と伝えられ、正善院日喜上人によって寛永十一年(一六三四)に開かれました。弘化三年(一八四六)六月の火災では当寺が所蔵していた多くの記録が焼失し、安政の大地震及び大正六年の水害でも、被害にあいました。本堂は明治十五年に再建し、書院庫裡は昭和四十五年に新築されました。
境内には稲荷堂(八角堂)があり、安宅丸御玉稲荷大明神がまつられています。これは徳川三代将軍家光が建造した御座船・安宅丸に勧請した船玉で、同船が取り払いになった際、当寺がゆずり受けました。船玉とは船中にまつる守護神のことを言います。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による妙泉寺の縁起

妙泉寺(西瑞江一丁目一七番地一号)
日蓮宗で常谷山と号してもとは千葉県平賀の本土寺末であった。寛永十一年(一六三四)正善院日喜上人の開山で、開基は谷河内村の名主長左衛門の祖であるという。本尊に十界曼荼羅をまつる。弘化三年六月の火災で記録を焼失し、安政の地震及び大正六年の水害を受けた。本堂は明治十五年に再建し、書院庫裡は昭和四十五年に新築された。
境内に妙見堂がある。もと徳川四代将軍家綱の建造した安宅丸に勧請した船玉稲荷で同船が取り払いになった時、当寺がゆずり受けて安宅丸御玉稲荷と称して祭った。明治維新後妙見大菩薩と改称した。現在でも月の二十一日には近在からの参詣者が多い。(「江戸川区史」より)


妙泉寺所蔵の文化財

  • 松浦信正関係資料(江戸川区指定有形文化財)

松浦信正関係資料

紙本着色松浦信正像一幅
墨書木箱
石造松浦信正写経塔一基
谷河内村は旗本の松浦氏の領地に含まれていたことから江戸時代を通じて松浦氏と深いかかわりを持っていました。当寺にはその一端を示す松浦河内守信正(一六九五〜一七六九)が写経を奉納した記念の石塔や信正の肖像画が現存しています。信正は幕府の勧請奉行・長崎奉行を歴任しました。(江戸川区教育委員会掲示より)

妙泉寺の周辺図