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城立寺|江戸川区春江町にある日蓮宗寺院

城立寺の概要

日蓮宗寺院の城立寺は本高山と号します。城立寺は、善立院日年(寛文7年寂)が開山、田嶋図書(法名正善院日慶、寛永20年寂)が開基となり創建したといいます。伝教大師の作と伝えられる鬼子母神像が祀られています。

城立寺
城立寺の概要
山号 本高山
院号 -
寺号 城立寺
住所 江戸川区春江町2-39-28
本尊 -
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 墓地募集中



城立寺の縁起

城立寺は、善立院日年(寛文7年寂)が開山、田嶋図書(法名正善院日慶、寛永20年寂)が開基となり創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による城立寺の縁起

(一之江新田)城立寺
法華宗、下総国葛飾郡平賀村本土寺末。本高山と号す。本尊釈迦を安ず。開基田嶋図書、寛永20年12月25日卒す。法名正善院日慶と云。開山善立院日年、寛文7年正月11日寂す。中興開山日興、安永7年6月6日寂す。
鐘楼、元禄7年鋳造の鐘をかく。
鬼子母神堂。傳教大師作、長6寸許、又堂内に七面明神を安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)

「江戸川区史」による城立寺の縁起

城立寺
日蓮宗で本高山と号し、もとは千葉県平賀の本土寺末であった。土地の名にちなんで「椿寺」ともいわれている。開基は堀田図書英丈で、もとは豊臣秀吉に仕えた武士であったが、大阪落城後慶長十一年この地に移り、大杉の田島庄兵衛家に寄寓し、開拓を進めてこの地の草分けとなった。入道して正善院日慶と号し、寛永二十年十二月二十五日歿したので、この日を寺の開基年月と定めている。
入植にあたっては徳川方のきびしい響戒の中を舟便で葛西浦から上陸し、田島姓を名乗り、一族の武具類は寺に埋めたと伝えている。松並木の参道を入るとカヤ葺きの簡素な四脚門があるが、元文元年(一七三六)の建築といわれ、江戸初期の作風を示すものとして都内でも珍しく、また墓地内の釈迦如来座像は石造仏としては区内の逸品といえる。
境内の鬼子母神堂には伝教大師作という鬼子母神像を安置し、安産を祈願する地元民の信仰が厚かった。参道入口にその石柱が建てられている。元禄七年田島伝左衛門が寄進した藤原正次鋳造の梵鐘があったが戦時供出のため、カヤ葺きの鐘楼だけが残っている。(「江戸川区史」より)


城立寺所蔵の文化財

  • 田島図書の墓(江戸川区登録史跡)
  • 石造釈迦如来坐像(江戸川区登録有形文化財)

田島図書の墓(江戸川区登録史跡)

田島図書は、一之江新田の開拓者で名主屋敷の田島家の先祖です。田島家に伝わる口伝によると、図書はもと豊臣家の家臣で堀田図書英丈と名乗っていましたが、関が原合戦後逃れて西一之江村大杉の田島庄兵衛に寄寓、田島図書と名をかえて開拓を進め、この地の草分けとなりました。図書は当寺の開基檀頭として「正善院日慶」と号し、寛永20年(1643)12月25日に没しました。墓は墓地内中央、釈迦如来坐像の後にあり、笠付きのもので、「妙法正善院日慶」と刻まれています。

石造釈迦如来坐像(江戸川区登録有形文化財)

寛文3年(1663)大工三左衛門の作で、台座を含め3メートル余ある一石丸彫の区内で最も大きな石造仏です。台座の銘文によると田島家の八郎兵衛尉重信が祖先の菩提と一切衆生の利益のために造立、寄進したとあります。彫りもよく表情ゆたかな仏像で、図書の墓の前に位置しています。

城立寺の周辺図