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善養寺|小岩不動尊、御朱印寺、影向の松、江戸川区東小岩にある真言宗豊山派寺院

善養寺の概要

真言宗豊山派の星住山地蔵院善養寺は、大永7年(1527)山城醍醐山の頼燈法印が当地へ下向し、草庵を結び創建したといわれます。慶安元年(1648)寺領10石の朱印状を拝領、江戸時代には数多くの末寺を擁した中本寺格の寺院でした。。境内には、影向の松小岩不動尊等、数多くの名所があります。

善養寺
善養寺の概要
山号 星住山
院号 地蔵院
寺号 善養寺
住所 江戸川区東小岩2-24-2
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 御朱印寺、影向の松、小岩不動尊



善養寺の縁起

善養寺は、大永7年(1527)山城醍醐山の頼燈法印が当地へ下向し、草庵を結び創建したといわれ、星の精霊が本堂前の松の樹上に降り、その星が石となったという言い伝えを持つことから、星住山と号したと伝えられ、その松の樹は影向の松として著名です。慶安元年(1648)寺領10石の朱印状を拝領、江戸時代には数多くの末寺を擁した中本寺格の寺院でした。

新編武蔵風土記稿による善養寺の縁起

善養寺
新義真言宗、山城国醍醐報恩院末、星住山と号す。寺領10石の御朱印は慶安元年9月賜ふ所なり。開山頼澄、寂年詳ならず。中興の僧を賢融と云、これも寂年を傳へず。
寺寶
星。星とのみ傳へて当寺の寶物とす。昔星の精霊本堂の前の松に降りて、暫樹上に止まり光を放ち遂に化て石となる。今舎利塔の如き極めて華麗なる塔裏に蔵む。もと三粒ありて青黄赤の色三種なりしが、二粒は何の頃か失ひて今青色の星一粒残れり。此事実に拠て山号をとれり。延享2年大塚護持院大僧正英岳の記せる縁起あれども、皆佛説にして其實に益なし。
心経一軸。空海の筆なり。
貉磬一。近き頃土中より掘出せしと云。来由詳ならず。
龍鱗。是は当寺第二十二世僧良雄、下今井村真福寺に住せし時、寛政元年観音の銅像を当国那賀郡小平村成身院に護送せしに、今泉と云所にてこの鱗を拾い得たりと云。其翌年良雄当寺に転住せしにより、これを持傳へて当寺の什寶とす。
茶弁富一荷。これは中興賢融拝領せしと云、黒質に梅の蒔絵を置き、極めて華麗なるものなり。
不動堂。立像長3尺9寸、毘首羯摩の作と云。縁起の略によるに、もと山城国醍醐山に安せし三国伝来の像にして、先師頼澄醍醐住山の時深く尊信せしに、この僧夢の告に東は諸難皆障多き地なれば、鎮護のために我を東土の霊場に移し、汝も早く下向すべきよしありければ、即東国下向の後此地に安す。其後賢融醍醐より此寺に住し、深く天下泰平武運長久の懇祈を抽てしこと上聞に達し、法問の聴者に撰ばれしと云。今世人小岩不動とて渇仰するもの多し。(新編武蔵風土記稿より)

江戸川区教育委員会掲示による善養寺の縁起

善養寺は、真言宗豊山派で星住山地蔵院と号します。室町時代の大永7年(1527)山城醍醐山の頼燈法印が霊夢のお告げによって小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのがはじまりと伝えられています。しかし、永正6年(1509)の柴屋軒宗長「東路のつと」に当寺の記事があることから寺の草創は寺伝よりもさかのぼると考えられます。慶安元年(1648)徳川家から寺領10石の御朱印を受けた名刹で、現在の本尊、地蔵菩薩は江戸時代の作です。境内に不動堂があり、「小岩不動尊」ともよばれています。(江戸川区教育委員会掲示より)

善養寺のもと末寺





善養寺所蔵の文化財

  • 影向の松(東京都指定記念物、江戸川区登録記念物)
  • 天明三年(1783)浅間山噴火横死者供養碑(東京都指定有形文化財、江戸川区登録有形文化財)
  • 小岩不動尊逆井道向石造道標(江戸川区登録有形文化財)
  • 小岩不動尊市川道向石造道標(江戸川区登録有形文化財)

影向の松

この松は、樹齢600年ともいわれ、枝の広がりの大きさと美しさは、全国屈指のものである。延享2年(1745)に書かれた「星住山星精舎利記」には、当時すでに、境内七尋五丈の老松であったことが記されている。
この松と並んで仁王門の左手には、名松「星降り松」があったが、正和15年に枯れ、今のは二代目である。文豪大町桂月の紀行文「東京遊行記」の一節に「-山門の右に鐘楼あり。その前に、一大老松の横にひろがる者あり。凡そ十間四方に及ぶ。支柱百を以って数ふべし。これを影向の松という。立てる星降りの松に、座れる影向の松を加えて、東京附近松の奇観は、この寺に尽きたり-」と。
この松は、大正15年4月、東京都の指定天然記念物となった。(江戸川区教育委員会掲示より)

善養寺の周辺図