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西小松川天祖神社|江戸川区西小松川町の神社

西小松川天祖神社の概要

西小松川天祖神社は、江戸川区西小松川町にある天祖神社です。西小松川天祖神社は、下総国千葉家より康正二丙年(1456年、室町時代)に神職が当所に引き移り創建したと伝えられます。旧西小松川村の鎮守社で、明治5年には村社に列格していたといいます。

西小松川天祖神社
西小松川天祖神社の概要
社号 天祖神社
祭神 天照大神
相殿 経津主命、武甕槌命
末社 稲荷神社、疱瘡神社
住所 江戸川区西小松川町1-3
備考 旧西小松川村鎮守、旧村社



西小松川天祖神社の縁起

西小松川天祖神社は、下総国千葉家より康正二丙年(1456年、室町時代)に神職が当所に引き移り創建したと伝えられます。旧西小松川村の鎮守社で、明治5年には村社に列格していたといいます。

「江戸川区史」による西小松川天祖神社の縁起

天祖神社(西小松川一丁目三三二五番地)
旧西小松川村の鎮守、祭神は天照大御神でもとは神明社といった。明治五年村社に列した。水害のため書類を流失して詳細は不詳であるが、もと千葉氏に仕えた秋元刑部左衛門橘胤次が康正二年(一四五六)から神職をつとめた。(「江戸川区史」より)

境内掲示による西小松川天祖神社の縁起

天祖神社の由来
天祖神社は、旧西小松川村草創の鎮守として、明治初頭までは神明社と称していた。明治5年11月に村社の社格に列せられる。詳細なる創立年代は、水害の為の書類流失により不詳であるが、神職家の祖先秋元刑部左衛門橘瀧次が仕えていた下総国千葉家より康正二丙年(1456年、室町時代)に当所に引き移り神職を務め、子孫代々奉仕し、現在に至る。
新編武蔵風土記稿によれば、「神明社、村の鎮守 神主秋元式部吉田家の配下なり。末社稲荷、疱瘡神」とあり、また、葛西誌には、「神明社村の鎮守なり。鹿島、香取大神二座を相殿に祀る。神主秋元式部持」と記載せられている。
当社は、神明造りの社殿構造上、氏子有志の浄財をもって屡々社殿を改築し、その都度の棟札を現在まで保存している。寛永5年12月(1628年)、享保14年10月(1730年)、宝暦4年3月(1754年)、昭和30年(1955年)の五枚の棟札を所蔵している。寛永5年の棟札の表面には、次の如く記されている。
「奉遷宮唯一神道天下泰平氏子繁昌之候
天下領三代将軍大御所様家康様 公方様秀忠様 当将軍家光様 御手代伊那半拾郎殿 目代富田半右衛門 目代宇田川喜衛 当村名主宮甚左衛門 氏子惣百姓 神主秋元民部少輔橘基忠」
現在の社殿は、慶応3年(1867年、十五代将軍徳川慶喜公が明治天皇陛下に大政を奉遷した年)に造立せられたものに、昭和30年増築したものがもととなっている。平成13年宮司・氏子総代・町内氏子有志の浄財をもって、本殿の土台を始めとする全面改修工事を実施し、平成14年5月には境内で落成式典が行われた。
境内社に文化5年6月(1808)創建された稲荷神社及び疱瘡神社(創建年代不詳)があるが、ともに平成13年の改修工事の時に新築された。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による西小松川天祖神社の縁起

(西小松川村)神明社
これも(西小松川香取神社と同じく)村の鎮守、神主秋元式部吉田家の配下なり。
末社稲荷、疱瘡神(新編武蔵風土記稿より)


西小松川天祖神社近隣の文化財

  • 四つ股の道標(秋元邸内)

四つ股の道標(秋元邸内)

四つ股とは、旧行徳道と旧千葉街道の交差点で、現在の小松川端の少し上流の、中土手寄りの地点にあった。銘文からみるとこの道標は、文化2年(1805)に建立された大事な道しるべであったが、大正2年の荒川開さくにより、現地保存が不可能になったので当天祖神社隣接の庭内に移転したものである。
頭部の覆蓋は失われてしまったが、願立は加納惣内で、高さは台座から179センチメートルと小形だが、四面に銘文が刻まれているのは、区内では異色で珍しいものである。
銘文
大山石尊大権現 北向キ 市川道
秩父三峰山大権現 北向キ 浅草道
讃金毘羅大権現 北向キ 行徳道
遠州秋葉山大権現 北向キ 両国道
昭和53年11月(江戸川区教育委員会掲示より)

西小松川天祖神社の周辺図