末廣神社|中央区中央区日本橋人形町の神社、日本橋七福神の毘沙門天
末廣神社の概要
末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、産土神として400年以上前から信仰されていました。明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されました。日本橋七福神の毘沙門天としても信仰を集めています。
| 社号 | 末廣神社 |
|---|---|
| 祭神 | 宇賀之美多摩命、武甕槌命(毘沙門天) |
| 相殿 | - |
| 境内社 | - |
| 住所 | 中央区日本橋人形町2-25-20 |
| 備考 | 日本橋七福神の毘沙門天 |
末廣神社の由緒
末廣神社は、江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、産土神として400年以上前から信仰されていました。明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されました。
境内掲示による末廣神社の由緒
末広神社は、江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった当時(元和3年から明暦3年まで)その地主神、産土神として信仰されていました。明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されていました。
社号の起源は、延宝3年社殿修復のさい年経た中啓(扇)が発見されたので氏子の人達が悦び祝って末廣の二字を冠したものです。
日本橋七福神めぐりガイドによる末廣神社の由緒
勝運を授け、災難をよける神様として、400年以上前から信仰されています。末廣神社は、この地にあった葦原(吉原)の守り神さまでした。延宝3年(1675)、社殿を修復した祭に、由緒の良い中啓(末廣扇)が見つかったことから、これに因んで「末廣神社」と名付けられました。
末廣神社にある中央区民登録文化財
- 末廣神社所蔵文書
末廣神社の周辺図
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末廣神社拝殿