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矢之庫稲荷神社|中央区東日本橋の神社

矢之庫稲荷神社の概要

矢之庫稲荷神社は、中央区東日本橋にある稲荷神社です。当地周辺には江戸時代、当地近隣に幕府の米蔵が建っていたことから、谷野蔵・矢之倉と称されており、この倉の鎮神として3社を合祀した三社稲荷神社が祀られていたといいます。元禄11年(1698)に蔵は移転し、三社稲荷も遷座しましたが、地元住民が三社稲荷を惜しんで、新左衛門稲荷、福富稲荷が初音森神社に合祀、谷野蔵稲荷は、矢之庫稲荷と名称へ改め当地に鎮座したといいます。

矢之庫稲荷神社
矢之庫稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 中央区東日本橋2-6-8薬研堀不動院
備考 -



矢之庫稲荷神社の由緒

当地周辺には江戸時代、当地近隣に幕府の米蔵が建っていたことから、谷野蔵・矢之倉と称されており、この倉の鎮神として3社を合祀した三社稲荷神社が祀られていたといいます。元禄11年(1698)に蔵は移転し、三社稲荷も遷座しましたが、地元住民が三社稲荷を惜しんで、新左衛門稲荷、福富稲荷が初音森神社に合祀、谷野蔵稲荷は、矢之庫稲荷と名称へ改め当地に鎮座したといいます。

境内掲示による矢之庫稲荷神社の由緒

正保2年(1645)、当地に隣接する東日本橋1丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、幕府が米蔵を建て谷野蔵・矢之倉と称されていました。その庭中に御蔵の鎮神として三社を合祀した三社稲荷神社をまつりました。三社は中央に「谷野蔵稲荷」、左に「福富稲荷」、右に「新左衛門稲荷」からなりたっていました。
 元禄11年(1698)に御蔵を鉄砲洲に移転すると共に、三社稲荷も一緒に移されましたが、御蔵跡地の住民がそれを惜しんで三社稲荷を残し、今尚東日本橋1丁目に「矢の倉三社稲荷」として祀っています。
 明治6年に「新左衛門稲荷」が、昭和7年には「福富稲荷」が当町「初音森神社」に遷座合祀されたといわれ、残る「谷野蔵稲荷」は幾多の変遷の後現在地に鎮座するに至りました。名称の表記がいつよりか「矢の庫稲荷」と改められました。御神体は現存しませんが翁の形で手に鎌と稲穂を持つと伝えられています。(境内掲示より)

東京名所図会による矢之庫稲荷神社の由緒

三社稲荷神社
三社稲荷神社は、楓河岸二十五番地に鎮座せり。祠を預れる松尾某の話に、往時豊川、穴守、いねもりの三稲荷を合祀して三社と稱せり。其の後荒廃に歸し、いねもり社の所在詳かならざりしを、明治三十年の頃、新に伏見桃山の源兵衛稲荷の分霊を携へ来りて、合殿に勧請せりとか、境内に三株の銀杏ありて神木に崇めぬ。楓川鎧之渡古跡考の圖には、此のところ、大原大明神及秋葉社とありて、楓川秋葉権現の古銀杏も烏有となり云々と記せり。されば二社の奉祀せられしを知るべく、かく異神を鎮めませし由来は詳かにせず、又、現存の銀杏は、後人が秋葉社の為めに、植繼きしものかと思はる。(東京名所図会より)


矢之庫稲荷神社の周辺図


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