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誉田八幡神社|習志野市大久保の神社

誉田八幡神社の概要

誉田八幡神社は、習志野市大久保にある神社です。誉田八幡神社は、大久保新田の開祖市角頼母が延宝年間(1673-80)に、河内国古市郡誉田村(現大阪府羽曳野市)の誉田八幡宮を勧請して創建したといいます。

誉田八幡神社
誉田八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 天満・稲荷・春日・金刀比羅・三峯・蔵王・疱瘡
住所 千葉県習志野市大久保4-4-27
祭日 9月15日
備考 -



誉田八幡神社の由緒

誉田八幡神社は、大久保新田の開祖市角頼母が延宝年間(1673-80)に、河内国古市郡誉田村(現大阪府羽曳野市)の誉田八幡宮を勧請して船橋市夏見に創建、その後習志野市本大久保に遷座したといいます。

「習志野市史」による誉田八幡神社の由緒

八幡神社
大久保新田の産土神で、祭神は誉田別命(応神天皇の尊称)。延宝年間(一六七三~八〇)に大久保新田の開祖市角頼母が、河内国古市郡誉田村(現大阪府羽曳野市)より勧請して創建されたといわれる。この市角頼母は信仰心が厚かったようで、正徳五年(一七一五)には二宮神社の神輿御神鏡を奉納し、村内には自分の持仏堂として薬師堂(現薬師寺)を建立している。江戸時代末期、祭神の名前をとって誉田八幡神社とも称するようになっている。神主は市角氏の世襲で、文政一〇年(一八二七)と明治二年の神道裁許状が伝わっている。明治初期の本殿の規模は間口六尺・奥行六尺。(「習志野市史」より)

千葉県神社名鑑による誉田八幡神社の由緒

延宝年間、豊臣方の武将であり、藤原秀郷の臣市角頼母が、河内国古市郡誉田村に鎮座する誉田八幡宮の分霊を、船橋市夏見に守護神として奉斎されたが、農耕に適さずとして、藤崎部落の田久保源左衛門の教えにより、習志野市本大久保の地に奉遷。その後さらに現在地に遷座し、多くの崇敬を得ている。安政二年に本殿・拝殿を改築、昭和七年に神輿殿、同二四年に神楽殿を新築。末社七社。毎年九月の例祭は盛大を極めている。(千葉県神社名鑑より)

境内石碑による誉田八幡神社の由緒

当社は、誉田別之命(第十五代応神天皇)を祭神とし、社伝に依れば、延宝年間、豊臣方の武将市角頼母が、一族郎党と共に当地に移住する際、河内國古市郡誉田村(現大阪府羽曳野市古市)に鎮座する誉田八幡宮の分霊を守護神として、奉斎したのがその始まりであり、当地が開拓されて来ました。(境内石碑より)


誉田八幡神社の周辺図


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