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薬師寺|習志野市大久保にある真言宗豊山派寺院、習志野七福神の弁財天

薬師寺の概要

習志野市大久保にある真言宗豊山派寺院の薬師寺は、習雲山瑠璃光院と号します。薬師寺は、河内の國(大坂)の郷士市角頼母が大坂冬・夏の陣に敗れて当地に帰農、薬師堂を建立したといいます。昭和17年英霊奉安のため一寺とし、習雲山瑠璃光院薬師寺と号したといいます。関東九十一薬師霊場80番、習志野七福神の弁財天です。

薬師寺
薬師寺の概要
山号 習雲山
院号 瑠璃光院
寺号 薬師寺
住所 習志野市大久保1-17-14
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



薬師寺の縁起

薬師寺は、河内の國(大坂)の郷士市角頼母が大坂冬・夏の陣に敗れて当地に帰農、薬師堂を建立したといいます。昭和17年英霊奉安のため一寺とし、習雲山瑠璃光院薬師寺と号したといいます。

「習志野市史」による薬師寺の縁起

薬師寺
大久保に薬師寺があるが、これは昭和一七年(一九四二)に一つの寺院となったもので、それまでは薬師堂である。
大久保新田の薬師院はこのお堂を管理していたようで、天保一三年(一八四二)一一月には安置されている薬師如来の開帳を行っている。(「習志野市史」より)

境内掲示による薬師寺の縁起

薬師寺縁起
當山は慶長五年(一六〇〇)人皇第一〇七代後陽成天皇の御代、関ヶ原の合戦において豊臣勢に加担した河内の國(大坂)の郷士、市角頼母は敗戦し大坂冬の陣(慶長十九年十月・一六一四)、夏の陣(元和元年四月・一六一五)に相次いで敗れ、一族郎党を率いて関東に逃れ當地、現在の本大久保一丁目(現杉の子幼稚園付近)に帰農し豪勢を占めた。後大久保(江戸時代は大窪といい小金原弁天原)に移住名主職に就く。長子をして下屋敷であった此地(大久保一丁目)に持佛の福壽薬師如来を奉祀した。長女は河内の國誉田の里に鎮座する八幡宮を分神して本大久保の地に祀り、その後現在地に移る。
(中略)
星霜移り昭和の時代となり昭和の時代となり昭和二年十一月(一九二七)薬師寺本堂建築とご本尊の薬師如来を塗替えたとの記録が最近発見された。昭和十七年(一九四二)七月一日戦乱激しくなり英霊奉安のため一寺建立の議起こり習雲山瑠璃光院薬師寺を建立す。昭和三七年(一九六二)市の要請(都市整備の必要)により納骨堂を設置。昭和六三年(一九八八)十一月本堂の老朽による雨漏りの大修理と境内の整備を完了。平成九年十月(一九九七)山門建立し山容を一新。(境内掲示より)


薬師寺の周辺図


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