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南泉寺|荒川区西日暮里にある臨済宗妙心寺派寺院、御朱印寺

南泉寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の南泉寺は瑞応山と号します。大愚(寛文9年1669年寂)が開山となり元和2年(1616)に創建、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)寺領30石の朱印状を拝領したといいます。大愚は東久留米米津寺を開山した臨済宗の名僧です。

南泉寺
山号 瑞応山
院号 -
寺号 南泉寺
住所 荒川区西日暮里3-8-3
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



南泉寺の縁起

南泉寺は、大愚(寛文9年寂)が開山となり元和2年(1616)に創建、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)寺領30石の朱印状を拝領したといいます。

文京区史跡さんぽ実施報告書による南泉寺の縁起

当山は臨済宗妙心寺派で元和2年(一六一六)二代将軍秀忠より境内3200余坪を拝領した。開山大愚和尚は徳川家の信仰を受け、武州豊島郡下村の石高30石と寺紋に葵を拝領し、明治に至っている。
寺格は紫衣地で、妙心寺輪番住職を勤め、宮中に参内する事も許されていた。徳川家の代替祝儀における納経では、一束一本(賜物)を帝鑑の間で進上し、柳の間で時服を受け、興に乗って参礼することも許されていた。
墓城には、将軍家光、家綱に仕えた老女岡野の基や、講談師松林伯円の墓がある。
本堂内の木造聖観音立像は旗本美濃遠山氏の念持仏で、厨子には遠山家の家紋が記されている。下半身は鎌倉時代後期のものと推定されるが、頭部、胴体部などは江戸時代に修復されたものと考えられる。(文京区史跡さんぽ実施報告書より)

新編武蔵風土記稿による南泉寺の縁起

南泉寺
同宗同末(禅宗臨済派京都妙心寺末)瑞應山と号す。元和2年の起立にして、開山大愚寛文9年7月16日寂。本尊釈迦。中興開基は岡野と云老女なり。こは大猷院殿厳有院殿に仕へ奉り、化粧料300石を賜り延宝4年7月13日歳73にて死し、遺言の願に由て上り地の内30石を当寺へ附せられ、貞享3年御朱印を賜はれり。
寺宝。
厳有院殿御書一軸。達磨を書かせ給ふ。
朝鮮国王所持扇一本。象牙の平骨にて人物山水等を彫刻す。小骨10本は加羅なり。地紙惣金表面に山水、裏面に梅鳥を墨にて書く。
以上二品延宝年中住持定水拝領せし由云傳ふ。
天神弁天合社。
鐘楼。寛文5年鋳造の鐘を掛く。
寺中、息心院。(新編武蔵風土記稿より)

美濃遠山氏の聖観音(南泉寺)

美濃遠山氏の聖観音
山号を瑞応山と証する臨済宗妙心寺派の寺。元和2年(1616)徳川家から境内3200余坪を拝領し大愚が開創した。その後、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)朱印地30石を賜った。
本堂内の木造聖観音立像は、美濃遠山氏の念持仏。厨子に遠山氏の家門、「遠山家 息心庵本尊、正観音菩薩、安政四年丁巳七月十日」の銘がある。上半身等に江戸期の補修が加えられているが、鎌倉期の作と推定される。その他。善光寺式阿弥陀三尊の一部と思われる銅造菩薩立像を所蔵。境内には、菅谷不動、講談師松林伯円の墓等がある。(荒川区教育委員会掲示より)


南泉寺所蔵の文化財

  • 銅造菩薩立像(荒川区登録文化財)
  • 木造聖観音菩薩立像(荒川区登録文化財)
  • 初代・二代・松林伯円の墓(東京都指定文化財)

南泉寺の周辺図


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