真正寺|荒川区南千住にある曹洞宗寺院

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神島山真正寺|湯島から移転してきた寺院

真正寺の概要

曹洞宗寺院の真正寺は、神島山と号します。四ツ谷天龍寺を開山した特賜心翁永伝禅師大和尚(寛文14年1674年寂)の隠居寺として湯島に開山、寛文元年(1661)当地へ移転してきました。

真正寺
真正寺の概要
山号 神島山
院号 -
寺号 真正寺
住所 荒川区南千住1-56-9
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



真正寺の縁起

真正寺は、四ツ谷天龍寺を開山した特賜心翁永伝禅師大和尚(寛文14年1674年寂)の隠居寺として湯島に開山、寛文元年(1661)当地へ移転してきました。

「御府内寺社備考」による真正寺の縁起

四谷天龍寺末 下谷通新町 神島山真正寺、境内御年貢地1430坪。
起立之儀は、慶長13年処之湯島ニ御座候処、御用ニ付被召上浅草へ替地被下有故而浅草寺地加藤出羽守殿ヘ相渡候後、寛文元年浅草当地ヘ易地ニ罷成候。
開山特賜心翁永伝禅師大和尚、寛文14年12月28日寂。心翁永伝儀は遠州倉見領西郷村法泉寺ニ住持之節、西月友船公を天文23年11月8日御引導焼香仕候。就夫御当地へ法泉寺を以、御上意引来候。右友船公は、台徳院御母公台院様之御親父ニ御座候。依之東照宮様関東御入国之砌ニ本多佐渡守へ被、仰付友船公之御位牌御当地へ引移候ニ付、則心翁僧御位牌持参仕候。早速於牛込寺地拝領被仰付、天龍寺与寺号御改開闢ニは友船公を御開基与被為成、境内36000坪被下置心翁住持仕候。其後程過、寛永11・12両年20000坪余為御用地被召上、境内も狭ク友船公供具等も不如意ニ相成候得共、右由緒之事故、明暦3年大火之節従手前奉願上候而、八王子千人同心衆之御宿仕候。則御城普請請御成就之後心翁僧御城へ被為召松平伊豆守殿松平右京亮殿安藤次右衛門殿松平平六郎左衛門殿御同席ニ而伊豆守殿被仰渡候は、此度千人同心之御宿仕候段達上意聞御悦候ニ被思召候。依之白銀500枚被下置御府内寺院多中御大切之折柄御用立候上は何様之儀有之候共、寺地之異変有之間敷由、被、仰渡候。同明年台徳院様27年御忌ニ御当被遊候節、心翁弟子就界ト申僧御由緒申立為御法事千人ヘ湖御回向執行申上候。其後天和3年類焼仕候得共、為御用地被召上。只今は四ツ谷新宿之先於追分寺地拝領被仰付罷在候。右心翁永伝儀は弟子就界ニ住職相譲隠居奉願上居候処、隠居寺地湯島ニ拝領被仰付。則西月友船公宝台院様ニ方御開基ニ被為成、寺号御改心翁開山被仰付付住持仕候。右天龍寺心翁初住職之地故真正寺本寺ニ致置候。其真正寺起立は慶長13年。其後湯島地御用地ニ被召上、浅草替地拝領被仰付候処、弟子道廓住職中故有而浅草寺地加藤出羽守殿ヘ相譲候。寛文元年従浅草当郷ヘ替地寺建立仕。尤其節本多佐渡守殿御所持ニ而加藤出羽守殿ヘ寺院相譲候ト申伝候。門前町屋共相求候由申伝候。門算町屋惣家作御免被仰付候年代記録虫喰候故相分り不申。其後寛延2年3月中門前町屋類焼仕貧寺故門前町屋間口10間之所迄は奉願上作事仕残り門前地は当分之内畳坪ニいたし罷在候。往来除之ため兎角矢来ニ奉願上致置候。(御府内寺社備考より)

真正寺の周辺図