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尾久八幡神社|旧上尾久村・旧下尾久村・旧船方村の鎮守、荒川区西尾久の神社

尾久八幡神社の概要

尾久八幡神社は、荒川区西尾久にある八幡神社です。尾久八幡神社の創建年代は不詳ですが、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)頃に分霊を勧請したのではないかと推定されています。江戸時代には当地周辺(旧上尾久村・旧下尾久村・旧船方村)の鎮守として祀られ、明治期には村社に列格していました。

尾久八幡神社
尾久八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 応神天皇
相殿 -
境内社 厳島神社、稲荷神社
住所 荒川区西尾久3-7-3
備考 旧上尾久村・旧下尾久村・旧船方村の鎮守、村社



尾久八幡神社の由緒

尾久八幡神社の創建年代は不詳ですが、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)頃に分霊を勧請したのではないかと推定されています。江戸時代には当地周辺(旧上尾久村・旧下尾久村・旧船方村)の鎮守として祀られ、明治期には村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による尾久八幡神社の由緒

(上尾久村)八幡社
上下尾久舟方(船形)三村の鎮守なり。神体木像神秘なりと云。願勝寺の持。
末社。疱瘡神、稲荷、天神、諏訪、弁天。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による尾久八幡神社の由緒

尾久八幡神社創建の年代は不明であるが、応永年間(一三九四-一四二八)よりはるかに古く、八幡神社に伝えられている最古の棟札は至徳二年(一三八五)をはじめとする、明徳四年(一三九三)・応永二十八年(一四二一)・永享五年(一四三二)・文明十二年(一四八〇)・寛水十五年(一六三八)・萬治三年(一六六〇)・元禄四年(一六九一)・嘉永五年(一八五三)の大小ながら八棟札が保存されており、少なくとも尾久八幡神社の勧請は至徳二年、(南北朝時代)以前であることは論をわかつことなく明白である。尾久は正保年代(一六四四-七)以前に上尾久・下尾久二村にわかれていて、尾久の総鎮守として幾度か歴史の変遷のなかを現在に至るのである。(東京都神社名鑑より)

境内掲示による尾久八幡神社の由緒

八幡神社の創建は不詳であるが、鎌倉時代末期の正和元年(1312)に、尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡ると考えられる。また、神社に残る棟札から、至徳2年(1385)には社殿が再建されたことが確認できる。江戸時代に幕府が編纂した地誌「新編武蔵風土記稿」には、上・下尾久、船方三村の鎮守と記されている。
八幡堀は、王子・上中里・田端・日暮里と流れる用水が八幡神社を取り囲んでいたもので、酒井新三郎抱屋敷と亀太郎屋敷との間(現在の西尾久3-4周辺)を経て、荒川(現在の隅田川)に注いでいた。川を往復する船が八幡堀まで進み、交易で賑わい、神社の西側では下肥の積み下ろしも行っていたという。(荒川区教育委員会掲示より)


尾久八幡神社所蔵の文化財

  • 上尾久村絵図(荒川区登録文化財)

尾久八幡神社の周辺図