恵明寺|足立区江北にある真言宗の寺院
恵明寺の概要
真言宗の恵明寺は、宮城山円明院と号し、門末11ヶ寺を擁する新義真言宗の小本寺、また御朱印20石寺でした。明治9年に小台延命寺と合併、昭和28年に独立して単立寺院となりました。江戸六阿弥陀2番、荒川辺八十八ヶ所霊場21、23、24、25、26、27番札所、荒綾八十八ヶ所霊場54番札所です。
| 山号 | 宮城山 |
|---|---|
| 院号 | 円明院 |
| 寺号 | 恵明寺 |
| 住所 | 足立区江北2-4-3 |
| 宗派 | 真言宗系単立 |
| 本尊 | 木造阿弥陀如来坐像 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | 江戸六阿弥陀2番、荒綾八十八ヶ所霊場54番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場21、23、24、25、26、27番札所 |
恵明寺の縁起
足立区教育委員会掲示による恵明寺の縁起
真言宗、宮城山円明院恵明寺と称す。本尊阿弥陀如来坐像は、造像の技法がきわめてすすんだころの等身大の寄木造りである。この阿弥陀如来は、江戸六阿弥陀2番の札所として、古くは小台の延命寺にあったものを明治9年の合併の際移したものである。六阿弥陀仏の信仰は、平安後期以後に発生したものと思われる。
当寺に伝わる六阿弥陀縁起、足立姫の伝説は広く知られており、江戸時代の天野信景の随筆「塩尻」にもその巡礼の様子がみられ、この地の人々の信仰を集めていたことがわかる。(足立区教育委員会)
足立風土記資料寺院明細による恵明寺の縁起
本寺山城国醍醐三宝院末 東京府管轄東京武州足立郡沼田村 宮城山 小本寺 恵明寺
創立年月并開山不詳、色衣香衣浅黄二色着用寺格ニ候
第31世住職饒誉 壬申45歳。東京府管轄武州足立郡元木村農藤田甚左ヱ門四男、天保9年6月同管轄同州沼田村恵明寺ニ於テ得度、安政3年ヨリ11ヶ年本山和州小池坊留学、慶応元年2月同管轄東京堀ノ内村不動院ニ入寺、同3年8月右恵明寺ニ転住、本州和州小池坊年数10ヶ年。以上僧壱人
境内 4反5畝分、但元朱印高之内
檀家 105軒
門末11ヶ寺
庵室無之
恵明寺の江戸六阿弥陀仏
木造阿弥陀坐像で、高さ2尺9寸5分、胴内に天文年間修理と書かれており、平安末期のものといわれ、そのお姿の美しさと、都内屈指の古さとで有名である。この仏は、末寺である、甘露山應味院延命寺(江戸六阿弥陀の2番)に安置されていたが、荒川河川改修工事により、明治9年、当時の江北村小台大門より、本寺である恵明寺に移されたものである。当寺に伝わる演技によると、足立区の長者の願いにより、行基菩薩が一夜にして一本の霊木より六体の阿弥陀仏を刻み、六処へ寺を建て安置したものの一つである。(足立区仏教会資料より)
恵明寺のもと末寺
廃寺となった延命寺について
延命寺は、江戸六阿弥陀の2番、また荒川辺八十八ヶ所霊場21番札所でしたが、荒川河川改修工事に伴い廃寺となりました。
小本寺恵明寺末、東京府管轄武州足立郡沼田村甘露山延命寺
創立年月并開山不詳、香衣一色着用寺格。 但当住無之、同管轄同州同郡同村恵明寺住職饒誉兼務。以上。
境内、9反7畝分、但除地。
檀家無之。
門末并庵室無之。(足立風土記資料寺院明細より)
廃寺となった正覚寺について
正覚寺は、荒川辺八十八ヶ所霊場26番札所でしたが、荒川河川改修工事に伴い廃寺となりました。
小本寺恵明寺末、東京府管轄武州足立郡小台村宝珠山正覚寺
創立年月并開山不詳、香衣一色着用寺格。 但当住無之、同管轄同州同郡沼田村恵明寺住職饒誉兼務。以上。
境内、1反歩、但除地。
檀家無之。
門末并庵室無之。(足立風土記資料寺院明細より)
廃寺となった観性寺について
観性寺は、荒川辺八十八ヶ所霊場27番札所でしたが、荒川河川改修工事に伴い廃寺となりました。
小本寺恵明寺末、東京府管轄武州足立郡小台村船渡山観性寺
創立年月并開山不詳、香衣一色着用寺格。 但当住無之、同管轄同州同郡沼田村恵明寺住職饒誉兼務。以上。
境内、5畝歩、但除地。
檀家無之。
門末并庵室無之。(足立風土記資料寺院明細より)
廃寺となった円満寺について
円満寺は、荒川辺八十八ヶ所霊場25番札所でしたが、荒川河川改修工事に伴い廃寺となりました。
小本寺恵明寺末、東京府管轄武州足立郡宮城村徳性山円満寺
創立年月并開山不詳、香衣一色着用寺格。 但当住無之、同管轄同州同郡沼田村恵明寺住職饒誉兼務。以上。
境内、3反3畝歩、但除地。
檀家3軒。
門末并庵室無之。(足立風土記資料寺院明細より)
廃寺となった能満寺について
能満寺は、荒川辺八十八ヶ所霊場24番札所でしたが、明治維新前に廃寺となりました。
恵明寺の周辺図
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恵明寺山門
恵明寺子育地蔵
恵明寺宝篋印塔
恵明寺大師堂