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白旗塚古墳|足立区東伊興にある観光名所

白旗塚古墳の概要

白旗塚古墳は、足立区東伊興にある観光名所・史跡です。白旗塚古墳は、直径12m高さ2.5mの円墳で5〜6世紀の築造だと推定されています。白幡塚古墳は、東伊興古墳群の一つですが、東伊興古墳群で残された古墳はこの白幡塚古墳ただ一つだといいます。

白旗塚古墳
白旗塚古墳の概要
名称 白旗塚古墳
住所 足立区東伊興3-10-14
みどころ 東伊興古墳群で残された唯一の古墳
備考 -



白旗塚古墳の案内

白旗塚古墳は、直径12m高さ2.5mの円墳で5〜6世紀の築造だと推定されています。白幡塚古墳は、東伊興古墳群の一つですが、東伊興古墳群で残された古墳はこの白幡塚古墳ただ一つだといいます。

東京都教育委員会掲示による伊興遺跡の案内

東伊興町30−10
直径一二メートル、高さ約二・五メートルの円墳であるが、その内容は不明である。この付近の毛長川南岸には、かつて擂鉢塚、甲塚、船山塚などの古墳があり、伊興古墳群を形成していたが、現在は本塚が残るのみ。このうちの擂鉢塚からは、人物・馬・円筒埴輪の出土が知られ、この古墳群が築造された年代はおおよそ五〜六世紀と推定される。
また、氷川神社付近には豊富な祭祀遺物を出土する集落址(伊興遺跡)がある。伊興古墳群は、この集落址との関係とあわせ、東部低地の歴史を考える上で貴重である。(東京都教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による伊興遺跡の案内

(伊興村)白幡塚
東の方にあり、此塚あるを以て白幡耕地と字せり、塚の除地二十二歩百姓持なり、上代八幡太郎義家奥州征伐の時、此所に旗をなびかし、軍勝利ありしとて此名を傳へし由、元来社地にして祠もありしなれど、此塚に近寄ば咎ありとて、村民畏れて近づかざるによりて、祠は廃絶に及べり、又塚上に古松ありしが、後年枯て大風に吹倒され、根下より兵器其数多出たり、時に村民来り見て件の兵器の中より、未だ鐵性を失はざる太刀を持帰て家に蔵せしが、彼祟にやありけん家挙げて大病をなやめり、畏れて元の如く塚下に埋め、しるしの松を植継し由、今塚上の両株是なりと云、今土人この松を二本松と號す、太さ一囲半許。(新編武蔵風土記稿より)

「ブックレット足立風土記伊興地区」による伊興遺跡の案内

白幡塚古墳
東武伊勢崎線の線路沿いにあり、都内城東地区に残る唯一の古墳です。直径12m、高さ2.5mの円墳で、5、6世紀に築造されたものと推定されています。「新編武蔵風土記」の伊興村の記載に、摺鉢塚、聖塚、甲塚、船山塚などの古墳が記されているように、この地域一帯に古墳群が形成されていました。
しかし地域開発のために取り壊され、現在残っているのは当古墳のみです。この塚は、景観を保存するために、1983(昭和58)年にその周囲約3000㎡の土地を区が買収し公園に造営、1987年に白旗塚史跡公園として開園しました。
塚は公園の北側にあり、堀に囲まれた塚には数本の樹木があり、その中に白幡神社が鎮座しています。「新編武蔵風土記」によると、この塚は古代の源義家の奥州征伐にちなむもので、塚上に植生していた古松が倒木したのち兵器類が出土し、出士品の崇りがあったため、のちに「二本松」と呼称される松を植えたと記しています。その後塚には、昭和の初めまで六本の杉が植えられ、2~3km先からもみえたので、近在の人は古くから「六本杉」と呼んでいたそうです。1935(昭和10)年ごろまでに相次いで枯れ果てて、現状況にいたるといわれています。(「ブックレット足立風土記伊興地区」より)


白旗塚古墳所蔵の文化財

  • 白旗塚古墳(東京都指定旧跡)

白旗塚古墳の周辺図


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