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舎人氷川神社|足立区舎人の神社

舎人氷川神社の概要

舎人氷川神社は、足立区舎人にある氷川神社です。舎人氷川神社は、正治2年(1200)に大宮氷川神社を勧請して創建したと伝えられ、天正2年(1574)に再建され、明治5年に村社に指定されました。大正元年に近在の無格社天祖神社、無格社稲荷神社、無格社神明社を合祀しています。

舎人氷川神社
舎人氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
合祀 -
境内社 弁財天社、多賀神社、八幡社、牛頭天王社、稲荷神社
住所 足立区舎人5-21-34
備考 舎人村村社



舎人氷川神社の由緒

舎人氷川神社は、正治2年(1200)に大宮氷川神社を勧請して創建したと伝えられ、天正2年(1574)に再建され、明治5年に村社に指定されました。大正元年に近在の無格社天祖神社、無格社稲荷神社、無格社神明社を合祀しています。

足立区教育委員会掲示による舎人氷川神社の由緒

当社の創建は古く、正治2年(1200)鎌倉時代の初期に大宮の氷川神社を勧請祭祀したと伝えられている。現在の社殿は、天保7年(1836)の建築で、総けやき造り、柾目の素材を集めて造営されている。唐様破風流れ造りの屋根が大きく社殿を覆っている。その特徴は社殿一面に施された彫刻美にある。向背の両社の昇龍・降龍・正面扉の唐獅子や牡丹、左側面の八岐の大蛇退治、裏面には天の岩戸開き、右側面には天孫降臨の様子が浮彫にされている。さらに、奥の両袖の懸崖には親子の唐獅子が彫り抜かれている。獅子は子を千仭の谷へつき落し、子は自力で谷間から這い上がるという図柄である。
舎人は江戸時代には赤山街道の宿場として栄え、「ごぼうの市」に代表される市場町としてもにぎわったところである。この文化的・経済的な背景がすぐれた彫刻を持つ社殿の建立につながったといえる。(足立区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による舎人氷川神社の由緒

(舎人町)氷川社
當所及入谷、遊馬三村の鎮守にて、正治二年當国一宮氷川明神を勧請し、八幡春日を相殿に祀ると云、今神軀に圓径一尺許の華曼を蔵む。銅にて杉板を包みたるものなり、其図左の如し。
応和四年に改元ありて康保と號す、六年と云は康保三年丙寅にあたれり、思ふにこれも例の東國にて、改元の事をしらざりし故なるべし、土人の話に此華曼に神明御前と記し、又古水帳に神明社除地等を載たれば、元は村内に神明社ありて其社内に納めなるべし、其後かの社衰で當社へ合祀せしを、遂に神明は廃していつとなく氷川の神軀となりしならんと云、此外に径八寸の銅曼一枚又径四寸なるお三枚あり、何れも銅佛をしけし蹟ありて、総の青錆をふくみて尤古色なり、前に出せし応和のものよりは古き世の物と見ゆ。
末社。疱瘡神社、稲荷社、辨天社、牛頭天王社、
本地堂、十一面観音を安ず、神輿も此所に置り。(新編武蔵風土記稿より)

足立風土記資料神社明細による舎人氷川神社の由緒

東京府管下武蔵国南足立郡舎人町村西沼耕地 村社 氷川神社
祭神 建速素盞嗚尊、誉田別命
由緒 正治庚申9月22日勧請、明治6年4月22日村社ニ定ム。
本社 間口2間奥行1間2尺3寸
拝殿 間口4間奥行2間半
神楽殿 間口3間半奥行3間
境内1207坪、官有地第1種
境内神社5社
八幡神社、祭神品陀和気命、由緒不詳、建物本社間口1間奥行1間半
稲荷神社、祭神宇迦之御魂命、由緒不詳、建物本社間口3尺奥行1間
八坂神社、祭神建速須佐之男命、由緒不詳、建物本社間口3尺奥行3尺
久伊豆神社、祭神大己貴命、由緒不詳、建物本社間口3尺奥行1間
厳島神社、祭神市杵島姫命、由緒不詳、建物本社間口3尺5寸奥行6尺5寸
境外所有地、田8反3畝17歩、舎人町字居村耕地、時価金493円36銭9厘。畑3反1畝28歩、舎人町字居村耕地、時価金58円83銭6厘。
氏子115戸(足立風土記資料神社明細より)


舎人氷川神社所蔵の文化財

  • 舎人氷川神社の本殿

舎人氷川神社の本殿

舎人氷川神社の本殿(舎人5−21)
総欅造り、柾目の素材を使用し、屋根は唐破風の流し造り。一面に施された精巧な彫刻(昇龍・降龍・唐獅子・牡丹・八岐大蛇退治・天の岩戸開き・天孫降臨等)は、区内屈指の神社建築(足立区登録文化財)。同社は、舎人町・入谷村・遊馬村(草加市)の3町村の鎮守、1200年(正治元)年に、武蔵國一宮である大宮氷川神社を勧請したという区内屈指の古社。(ブックレット足立風土記舎人地区より)


舎人氷川神社の周辺図


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