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平野神社|足立区平野の神社

平野神社の概要

平野神社は、足立区平野にある神社です。平野神社は、江戸時代興野村(奥野村)の鎮守で、氷川神社と称していたといいます。

平野神社
平野神社の概要
社号 平野神社
相殿 大田命
祭神 猿田彦大神
境内社 -
住所 足立区平野1-6-7
備考 -



平野神社の由緒

平野神社は、現在地より50mほど北にあった「庚申堂」を前身として、1981(昭和56)三重県伊勢市の猿田彦神社を勧請して創建したといいます。

境内石碑による平野神社の由緒

平野神社は享保5年(1720)当地の中心に鎮座され平野郷の守護神として古くから里人の厚く信仰するところなり。代々の氏子総代これを維持し幾多の変遷を経て戦後責任総代遠山久蔵、豊田恒夫、鴨下次男三氏の尽力により昭和39年坂田藤吉氏より用地売買に依り土地提供を受け氏子各位の浄財の寄進を受け旧社殿を造営した。昭和57年神輿、曳き太鼓を購入するとともに顧問、総代長、総代、世話人等の役員を置き、神社の祭祀、及び守護財産維持管理・運営その他の業務を行う目的をもって、平野神社奉賛会を結成し、其の後社殿の老朽化が甚だしく平成元年頃より神社総代・世話人会を再々開催し改築造営することが決議され此処に氏子各位の賛同を得平野神社建設委員会が結成され、氏子各位の浄財を仰ぎ新社殿が竣工されました。平成3年9月吉日御遷座祭が斎行されました。平野神社建設委員会(境内石碑より)

足立風土記稿地区編による平野神社の由緒

平野神社は平野の鎮守である。境内・社殿は小規模だが由緒は古く、現在地より50mほど北にあった「庚申堂」が前身であった。現在地に移ったのは、1964(昭和39)年のことで、神社としての創建は新しいという風変わりな歴史を持つ神社である。
平野神社創建
平野は各村の飛び地の集まりであったから、鎮守というものがなかった。小右衛門の人は小右衛門稲荷神社、島根の人は鷲神社、栗原の人は栗原氷川神社というように、それぞれの村の鎮守の氏子となっていた。
だが、平野も昔から先祖が住んできた土地なので、やはり自分たちの神社が欲しい。また庚申堂も老朽化してきたなどの理由で、坂田藤吉氏より土地を購入し、現在の場所に庚申塔を移し社殿を造り、同時に町会会館も建てた。この時の社殿は現在の三分の一ほどの大きさであった。
しかし、「庚申さまは神ではない」という話が出て、西之宮稲荷神社(五反野)の宮司に相談し、1981(昭和56)年、三重県伊勢市の猿田彦神社まで出向き、主祭神猿田彦大神・相殿大田命を分霊した。ここに名実ともに平野神社が誕生した。元来、庚申信仰は中国の道教の思想から出た信仰で、日本の神仏とは別のものである。しかし、江戸時代には民間に広まり、青面金剛などを庚申の本尊とすることが多くなっていった。平野神社に猿田彦をまつったのは、庚申の三猿にちなんだものである。
飛び地の集まりであるため、産土神というものを持っていなかった平野の人たちの、神社創建に対する熱意が感じられる話である。
猿田彦分霊を期に、翌年神輿・曳き太鼓を新調し、神社の体裁を整えた。再び老朽化が激しくなり、改築の建議が起こり、現在の社殿が落成したのは1991(平成3)年9月のことである。精巧な彫り物は名古屋の宮大工の手による。(足立風土記稿地区編より)


平野神社所蔵の文化財

  • 庚申塔三基

平野神社の周辺図


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