真福寺久伊豆神社。さいたま市岩槻区真福寺の神社

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真福寺久伊豆神社。さいたま市岩槻区真福寺の神社

真福寺久伊豆神社の概要

真福寺久伊豆神社は、さいたま市岩槻区真福寺にある神社です。真福寺久伊豆神社の創建年代は不詳ながら、明治維新前に当社を管理していた正蔵院は長禄元年(1457)の開基と伝えられます。江戸期には、村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格していました。

真福寺久伊豆神社
真福寺久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 天満宮、神明、熊野権現、稲荷大明神、三峰
住所 さいたま市岩槻区真福寺414
祭日 例祭7月28日
備考 -



真福寺久伊豆神社の由緒

真福寺久伊豆神社の創建年代は不詳ながら、明治維新前に当社を管理していた正蔵院は長禄元年(1457)の開基と伝えられます。江戸期には、村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による真福寺久伊豆神社の由緒

(眞福寺村)
久伊豆社
村の鎮守なり、正蔵院持、下同じ
末社。天神、太神宮、稲荷、熊野(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による真福寺久伊豆神社の由緒

久伊豆神社<岩槻市真福寺四一四(真福寺字向原)>
真福寺の地名は、かつて所在した寺院名に由来するというが、その跡地は伝わっていない。村の開発については明らかでないが、旧家の中でも石垣伸久家は先祖が大坂城落城の際に当地に落ち延びて土着したと伝え、当主で一八代を数える。
当社は『風土記稿』真福寺村の項に「久伊豆社 村の鎮守なり、正蔵院持、下同じ、末社 天神 太神宮 稲荷 熊野」と載る。別当であった正蔵院は真言宗の寺院で、長禄元年(一四五七)に浄光法印によって開基された。その位置は、当社の南西一六〇メートルほどの所である。
祭神は大巳貴命である。本殿に奉安する像は、頭頂部に九つの竜頭(内二つは欠損)を配し、右手に矢、左手に弓を持ち、腰に太刀を差しており、その姿から氏子は「九頭龍様」と称し、水の神として崇めている。また、厨子の銘文には「寛政六甲寅年(一七九四)十一月九日法印尊空代 願主石垣喜八」「明治廿九年四月十五日修繕 南埼玉郡柏嵜村大字浮谷社掌仙波春美 氏子中」とある。このほかに、天保十五年(一八四四)に神祇伯家から拝受した正一位久伊豆大明神神璽勧遷状やその神璽などを本殿に納めている。
神仏分離を経て、明治六年に村社となった。(「埼玉の神社」より)


真福寺久伊豆神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)