尾ヶ崎新田稲荷神社。さいたま市岩槻区美園東の神社

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尾ヶ崎新田稲荷神社。尾ヶ崎新田を開発した真々田家が勧請

尾ヶ崎新田稲荷神社の概要

尾ヶ崎新田稲荷神社は、さいたま市岩槻区美園東にある神社です。尾ヶ崎新田稲荷神社の創建については不詳ながら、大坂夏の陣で大坂落城後当地に入植し、尾ヶ崎新田を開発した真々田家(旧真田家)の先祖が、新田開発に際して勧請したのではないかと推測されています。

尾ヶ崎新田稲荷神社
尾ヶ崎新田稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 稲蒼魂神
相殿 -
境内社 荒神社、浅間社3社
住所 さいたま市岩槻区美園東3-2-8
祭日 例祭9月15日
備考 -



尾ヶ崎新田稲荷神社の由緒

尾ヶ崎新田稲荷神社の創建については不詳ながら、大坂夏の陣で大坂落城後当地に入植し、尾ヶ崎新田を開発した真々田家(旧真田家)の先祖が、新田開発に際して勧請したのではないかと推測されています。

新編武蔵風土記稿による尾ヶ崎新田稲荷神社の由緒

(尾ヶ崎新田)
稲荷社
村内の鎮守なり、村民持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による尾ヶ崎新田稲荷神社の由緒

稲荷神社<岩槻市尾ケ崎新田一三四(尾ケ崎新田五反歩)>
当地は、『風土記稿』尾ケ崎新田の項に「慶長・元和(一五九六-一六二四)の頃、次第に開墾して一村となれり」と記されている。地内の旧家真々田肇家の「過去帳」には「初代利左衛門慶安二年(一六四九)六月十八日勝徳院開法浄慶居士開発ノ仁」とある。また、嘉永元年(一八四八)の「起立書」(金剛院文書)によると、地内の真言宗正福寺の開基はこの真々田家初代浄慶で、開山の甚盛は、元和二年(一六一六)に没したという。真々田家は旧姓を真田と称し、大坂落城後当地に土着して、姓を真々田に改めたと伝える。
当社は真々田家のすぐ西に鎮座し、かつては周辺一帯を同家が所有していたことから、その創建は村の開発や正福寺の開基とあまり変わらない時期に、真々田家の先祖により行われたと推測され、後に村の鎮守となったのであろう。『風土記稿』尾ケ崎新田の項に、「稲荷社 村の鎮守なり、村民持」とあり、これに見える「村民」が真々田家を指すものと考えられる。本殿には天明七年(一七八七)に伏見稲荷神社から分霊した神璽と共に尾ケ崎新田村中・別当正福寺宛の「正一位稲荷五社大明神安鎮之事」と記された分霊証書が奉安されている。
また「奉造立宮殿延享三年(一七四六)丙寅四月日」と刻まれる石碑が本殿裏に建つが、本殿のすぐ北にある一間社流造りの祠がこれに該当するかつての本殿であったと伝えられている。(「埼玉の神社」より)


尾ヶ崎新田稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)