東光院|千葉市緑区平山町にある真言宗豊山派寺院

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鈴得山東光院|平山お願い薬師、千葉寺十善講八十八所

東光院の概要

真言宗豊山派寺院の東光院は、鈴得山大金剛寺と号し、「平山お願い薬師」として著名です。東光院の創建年代等は不詳ながら、広徳寺と称して平忠常(975-1031)が平安時代に創建したのではないかといいます。当地近くには、平忠常の子恒将(1010-1071・千葉氏初代)が建立した平山寺の跡(一説には広徳寺の跡)ではないかとされる平山町八津台から、平安時代初期の布目瓦等が出土しています。また本尊の七仏薬師如来は、平将門の乱に際して平良文に加護を与えた息災寺の本尊を勧請したと伝えられ、一体は藤原時代の作、他の六体は鎌倉時代初期の作といわれています。天正4年(1576)、住職貞成法印が後陽成天皇の御病気回復を祈願、成就により玉部の鈴及び東照のニ字を賜を拝領し、鈴得山東照院大金剛寺と改号、元禄15年(1702)日光東照大権現(徳川家康)をはばかるため、東照院から東光院へ改めています。千葉寺十善講八十八所83番です。

東光院
東光院の概要
山号 鈴得山
院号 東光院
寺号 大金剛寺
住所 千葉市緑区平山町278
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



東光院の縁起

東光院の創建年代等は不詳ながら、広徳寺と称して平忠常(975-1031)が平安時代に創建したのではないかといいます。当地近くには、平忠常の子恒将(1010-1071・千葉氏初代)が建立した平山寺の跡(一説には広徳寺の跡)ではないかとされる平山町八津台から、平安時代初期の布目瓦等が出土しています。また本尊の七仏薬師如来は、平将門の乱に際して平良文に加護を与えた息災寺の本尊を勧請したと伝えられ、一体は藤原時代の作、他の六体は鎌倉時代初期の作といわれています。天正4年(1576)、住職貞成法印が後陽成天皇の御病気回復を祈願、成就により玉部の鈴及び東照のニ字を賜を拝領し、鈴得山東照院大金剛寺と改号、元禄15年(1702)日光東照大権現(徳川家康)をはばかるため、東照院から東光院へ改めています。

「千葉市史」による東光院の縁起

東光院
鈴得山東光院大金剛寺は真言宗に属し、本尊は七仏薬師如来である。伝えによれば、この七仏薬師如来像は将門の乱に際し、平良文に加護を与え群馬県花園村息災寺の本尊を勧請したものといわれる。三十三年ごとに御開帳する秘仏であるが、昭和三十二年の調査によれば、本尊は藤原時代の様式を残している寄木造の座像で、他の六体は一木造であって、鎌倉初期の作といわれる。
当院は古くは広徳寺と呼ばれていたが、天正四年(一五七六)、時の住職貞成法印が後陽成天皇の御病気回復を、七仏薬師如来に祈願し、祈願成就につき、玉部の鈴及び東照のニ字を賜った結果、以来、鈴得山東照院大金剛寺と改めたといわれる。江戸時代の元禄十五年(一七〇二)日光東照大権現をはばかるため、院号を東光院に改めるよう寺社奉行より命ぜられて、現在に至っている。
ところで、平山町八津台には広徳寺跡と伝えられる場所があり、『千葉大系図』に記載されている、平忠常の子恒将(常将、一〇一〇~七一)が創建したという平山寺の跡ともいわれる。近年この広徳寺跡から平安初期と恩われる布目瓦等が出土し、東光院の創建は平安期にさかのぼると推定されている。
宝永四年(一七〇七)火災にあった記録があるが、当院には善光寺式観世音像(市指定文化財)、金銅毛彫飛天(市指定文化財)、不動明王像、木版五百羅漢図、千葉家系図、当寺縁起三巻、宝来島弁天社縁起等が所蔵されている。(「千葉市史」より)

「千葉縣千葉郡誌」による東光院の縁起

東光院
誉田村平山にあり。小本寺の末寺にして、境内千三百八十五坪、堂宇間口四間奥行四間、本尊七佛薬師如来、境内に不動堂、彌陀堂の二宇あり。檀徒二百六十三戸。(「千葉縣千葉郡誌」より)


東光院所蔵の文化財

  • 木造伝七仏薬師如来坐像(千葉県指定文化財)
  • 善光寺式観世音像(市指定文化財)
  • 金銅毛彫飛天(市指定文化財)

東光院の周辺図