野呂町六社神社|千葉市若葉区野呂町の神社

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野呂町六社神社|千葉市若葉区野呂町の神社

野呂町六社神社の概要

野呂町六社神社は、千葉市若葉区野呂町にある神社です。野呂町六社神社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝の功臣(秩父平氏・所領葛西郡の)葛西三郎が造営したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。

六社神社
六社神社の概要
社号 六社神社
祭神 大国主命、素戔嗚命、伊弉那岐命、瓊瓊杵尊、大宮女命、布笛神
相殿 -
境内社 天満宮、安房栖神社。第六天社
住所 千葉市若葉区野呂町405
祭日 10月17日
備考 -



野呂町六社神社の由緒

野呂町六社神社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝の功臣(秩父平氏・所領葛西郡の)葛西三郎が造営したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。

境内掲示による野呂町六社神社の由緒

源頼朝は平治の乱に捕らえられ伊豆に流されたが伊豆の豪族北条時政の娘政子を妻として北条氏の力を借りて勢力を伸ばした。
しかし石橋山の合戦で平家大庭景親に打ち破られ命からがら安房(千葉)へ敗走した。此の結果見詩義澄千葉介広常(上総)千葉介常胤(下総)等の協力を得て房総一帯を支配下になす。
六社神社は頼朝の功臣葛西三郎が造営したと伝えられる、今より八百余年前に造営されたのである。野呂付近は八百年前は千葉常胤の支配下であった。
山崎信友先生編集「野呂史」依り転用(境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による野呂町六社神社の由緒

六社神社
第一二代景行天皇即位四一年五月五日、大己貴命が小野県に出現、葛西三郎が社殿を造営す。その後、右大将源頼朝卿が再建、当家社領とする。(「千葉県神社名鑑」より)

「千葉縣千葉郡誌」による野呂町六社神社の由緒

六社神社
白井村野呂字深山に鎮座す。祭神不詳なるも野呂區の南部高臺に位し、四周田園を續らし東方有名なる清水不動堂と相並び、其の間雑葉樹林をなし、不動堂に通ずる道路には櫻樹多くして、花季には花を訪ふもの多し。
社殿間口六尺奥行八尺、拝殿間口九尺奥行二間、境内二百七十坪、氏子百五十戸あり。(「千葉縣千葉郡誌」より)


野呂町六社神社の周辺図