作草部神社|千葉市稲毛区作草部の神社

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作草部神社|千葉市稲毛区作草部の神社

作草部神社の概要

作草部神社は、千葉市稲毛区作草部にある神社です。作草部神社は、当地に鎮座していた無格社道祖神社と村社石尊神社とを昭和17年合併し、作草部神社と称しています。当地鎮座の道祖神社は、天明4年(1784)に村人が創建したと伝えられますが、寛文9年(1669)の訴状に名前が残っていることから、江戸時代前期には祀られていたのではないかとされ、新田町道祖神神社・千葉寺町の道祖神社と共に千葉三道祖神と称されていました。村社石尊神社は、宮野木村能勢家の吉右衛門が文政7年(1824)に請負新田開発を出願、佐倉藩主堀田家から許可を得て入会地だった穴川の開発に着手、穴川開拓に尽力した堀田相模守、青木安太郎、白藤左衛門の三名を祀って嘉永3年(1850)に創建、昭和17年当地に遷されています。

作草部神社
作草部神社の概要
社号 作草部神社
祭神 大雷神、大山祇神、高龗神、伊弉諾命、伊弉册命、他7柱
相殿 -
境内社 日枝神社
住所 千葉市稲毛区作草部1-32
備考 旧村社



作草部神社の由緒

作草部神社の創建年代等は不詳ながら、慶応3年(1867)に神祇管領卜部義良殿により作草部神社と称されたといいます。明治維新後の社格制定に際し村社に列格、明治43・44年に熊野神社・皇産麗社・道祖神社・子安神社・天神社・魔利支天社・疱瘡神社・駒形神社を合祀しています。

「千葉県神社名鑑」による検見川神社の由緒

作草部神社
慶応三年一一月二日、神祇管領卜部義良殿の庁宣を以て作草部神社を奉称。明治四三年一一月一一日、同所無格社熊野神社・皇産麗社・道祖神社・子安神社・天神社・魔利支天社・疱瘡神社・駒形神社を本社に合祀する。(「千葉県神社名鑑」より)

「千葉縣千葉郡誌」による検見川神社の由緒

都賀村作草部字宮後に鎮座す。大雷神大山咋神高雷龍神伊邪那岐命伊邪那美命事解男命高産霊命猿田比古命應神天皇菅原道真素戔嗚命市寸島比咲命を祀る。
由緒詳かならざれども慶應三年十一月二日神位吉田殿より授位有之、明治四十三年十一月十一日仝所字屋敷熊野神社及び仝四十四年十一月六日仝所皇産靈社道祖神子安神社天神社摩利支天神社疱瘡神社駒形神社を本社に合祀す。境内社一社あり日枝神社と稱し、大山咋命を祀る。社殿間口四尺奥行四尺、拝殿間口二間奥行二間、境内千百六十二坪、氏子六十三戸、財産九百十圓を有す。(「千葉縣千葉郡誌」より)


作草部神社の周辺図