東漸寺。横浜市鶴見区潮田町にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

金胎山東漸寺。玉川八十八ヶ所霊場、東国八十八ヵ所霊場、東海三十三観音霊場

東漸寺の概要

真言宗智山派寺院の東漸寺は、金胎山東住院と号します。東漸寺の創建年代等は不詳ながら、山城國醍醐三寶院の勝覺僧正(大冶4年1129年寂)が、寛治年間(1087~94)に子生山東福寺を草創、次いで当寺を建立したといいます。玉川八十八ヶ所霊場7番、東国八十八ヵ所霊場11番、東海三十三観音霊場11番です。

東漸寺
東漸寺の概要
山号 金胎山
院号 東住院
寺号 東漸寺
住所 横浜市鶴見区潮田町3-144-2
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



東漸寺の縁起

東漸寺の創建年代等は不詳ながら、山城國醍醐三寶院の勝覺僧正(大冶4年1129年寂)が、寛治年間(1087~94)に子生山東福寺を草創、次いで当寺を建立したといいます。

新編武蔵風土記稿による東漸寺の縁起

(潮田村)東漸寺
村の中央にあり、新義真言宗神奈川宿金蔵院末、薬王山東壽院と號す、歴代の内秀譽寛文八年十月十六日示寂と記せしのみにて、それより先のことは傳へず、本尊大日坐像にして二尺許、本堂八間に五間南向
鐘楼。門を入て左にあり、八尺四方鐘に寳暦八年の銘あり。
薬師堂。境内に入て左にあり、三間四方東向なり、聖徳太子の作り給ひしと云、二尺五寸の立像なり。
天満宮。同じ邊にあり小祠。
地蔵堂。門前にあり一間半に二間の堂なり、尤あたらしき石像なり。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による東漸寺の縁起

東漸寺
位置
東漸寺は、金胎山東壽院と號し、鶴見區潮田町二千三百二番地に在る。境内は九百五坪。官有地。神奈川町金藏院末で、寺格は六等地である。
沿革
創建の年代及び開山・開基の名も詳かではないが、山城國醍醐、三寶院の勝覺僧正が、鶴見村の子生山東福寺を草創して尙、更に當寺をも建立したと傳へて居る。其後、衰退して、或は住僧もなく、荒廢に任せた中にも、いつの頃にか囘祿に罹り、堂宇の悉くを灰燼に歸して、古來からの舊記等を全く失つた為めに、その沿革等が不明になつたと云ふ。下つて寛保の頃に、宥長が住して、堂宇の再建、寺門の興隆を謀つたので、此僧を以て當寺の中興開山とし、以來、十四世の法燈を重ねて居る。第七世快雄の代、文化十四年十月、本堂を再建し、明治十一年、憲隆の代に、庫裡及び大門の建替へ等を行ひ、藥王山と稱したを、今の山號に改めた。大正十二年九月一日の關東大震災には、本堂・庫裡が倒壊の厄に遭ひ、現住森岡惠寶が、大正十三年に庫裡を、同十五年に本堂を各、再建、其他諸堂の修覆等を加へた。維新前は同村の鎭守、杉山社・御嶽社の別當を兼ねて居た。
本尊
本尊は金剛大日如來の坐像。二尺五寸。作不詳。(「横浜市史稿 佛寺編」より)

「鶴見区史」による東漸寺の縁起

金胎山と号し、本尊に大日如来を安置している。寛保年間宥長が住持して中興、明治初年まで鎮守杉山社(現潮田神社)の別当を兼帯していた。(「鶴見区史」より)


東漸寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」
  • 「鶴見区史」