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猫の足あと

常倫寺。横浜市鶴見区駒岡にある曹洞宗寺院

常倫寺の概要

曹洞宗寺院の常倫寺は、照光山往生院と号します。常倫寺は、凉月安清(弘治3年1555年寂)が天文11年(1542)に草庵として草創、花嶽周香和尚(慶長7年1602寂)が開山したといいます。寛永4年(1627)が久志本左京が当寺の檀越となり、祖左京亮常倫の名より寺号を常倫寺と改号、元禄7年(1694)に小田切土佐守直利が再建した際に山号・院号を瑞雲山吉祥院から照光山往生院へと改めたといいます。

常倫寺
常倫寺の概要
山号 照光山
院号 往生院
寺号 常倫寺
住所 横浜市鶴見区駒岡3-5-1
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 常倫寺常勝閣
備考 -



常倫寺の縁起

常倫寺は、凉月安清(弘治3年1555年寂)が天文11年(1542)に草庵として草創、花嶽周香和尚(慶長7年1602寂)が開山したといいます。寛永4年(1627)が久志本左京が当寺の檀越となり、祖左京亮常倫の名より寺号を常倫寺と改号、元禄7年(1694)に小田切土佐守直利が再建した際に山号・院号を瑞雲山吉祥院から照光山往生院へと改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による常倫寺の縁起

(上駒岡村・中駒岡村・下駒岡村)常倫寺
上村の内東方にあり、曹洞宗郡中小机村雲松院末、照光山往生院と號す、天文十一年凉月安清と云るもの始て草庵を結びてすめり、この僧は弘治三年三月二十三日に寂せり、其後花嶽周香和尚を開山となして一寺となせり、この和尚は慶長七年九月二十三日に寂す、其後元禄七年小田切土佐守直利再建せしまでは瑞雲山吉祥院と號せり、後又寛永四年久志本左京此寺の檀越となり、山號寺號をも改め其家の祖左京亮常倫の名をもて寺の名とせり、本堂西向八間に六間本尊釋迦の坐像長一尺、此外に彌陀の坐像一尺餘惠心僧都の作なるを安ぜり、此彌陀は久志本氏より納めしと云。
鐘銘。七尺四方門を入て左にあり銘を鑄たり左に録。(鐘銘省略)(新編武蔵風土記稿より)


常倫寺所蔵の文化財

  • 久志本氏歴代の墓碑
  • 梵鐘
  • 乳母銀杏(横浜市指定名木)

久志本氏歴代の墓碑

久志本氏は、今の三重県度会郡久志本の出身で、元は神主でのちに徳川家康の侍医として召し抱えられました。
宝永3年(1706)久志本常倫は、五代将軍綱吉の病気を治癒し、武蔵国橘樹郡、都筑郡のうち八百石の采地(領地)を賜わり、総知行高二千石となりました。
久志本氏歴代の墓所は、本堂左手の急な照光坂を昇った所にあります。
墓域に立って、大きな常倫(常勝の父)の墓を中央に、一列に立ち並ぶ墓碑を見ますと、江戸時代中期からこの地を治めてきた殿様のお墓ということが感じられます。(鶴見区役所掲示より)

梵鐘

本堂の回廊に吊り下げられている梵鐘は、元禄6年(1693)2月、時の地頭小田切土佐守直利が、父美作守須猶の追善供養のために寄進したものです。(鶴見区役所掲示より)

乳母銀杏

境内の乳母銀杏には次のような伝説があります。
江戸時代に久志本左京亮常倫の妻が身ごもって、一子常勝を産みましたが、お乳が一滴も出ませんでした。
思い余った夫婦は、この寺に詣で、乳の出るよう一心に祈願しました。すると、銀杏の木の乳房のように垂れ下がった先端から、真っ白な乳がしたたり落ち、この乳を飲んで常勝はたくましく成長しました。
それ以来、この銀杏は乳母銀杏と呼ばれ、乳の出ない母親は、この銀杏に祈るようになったということです。なお、現在、この銀杏は、横浜市の名木に指定されています。(鶴見区役所掲示より)

常倫寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿


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