阿久和熊野神社|横浜市瀬谷区阿久和東の神社

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阿久和熊野神社|天神地祇の御座所

阿久和熊野神社の概要

阿久和熊野神社は、横浜市瀬谷区阿久和東にある熊野神社です。阿久和熊野神社の創建年代は不詳ですが、安和年間(968~970年)頃から当地周辺を”天神地祇の御座所”として敬ってきたといい、弘和年間(1381-1384)に祠を祀ったといいます。江戸期には、新橋五靈社新橋神明社新橋天神社などと共に阿久和村の鎮守社となっていました。

阿久和熊野神社
阿久和熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊弊諾命、伊弊再命、諺坂姫命
相殿 -
境内社 八神社・天神社・山王社・疱瘡神・稲荷社・諏訪社・神明社
住所 横浜市瀬谷区阿久和東4-7-1
祭日 例大祭9月19日
備考 -



阿久和熊野神社の由緒

阿久和熊野神社の創建年代は不詳ですが、安和年間(968~970年)頃から当地周辺を”天神地祇の御座所”として敬ってきたといい、弘和年間(1381-1384)に祠を祀ったといいます。江戸期には、新橋五靈社新橋神明社新橋天神社などと共に阿久和村の鎮守社となっていました。

新編相模国風土記稿による阿久和熊野神社の由緒

(阿久和村)熊野社
例祭九月十九日。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による阿久和熊野神社の由緒

熊野神社(瀬谷区阿久和町3430)
弘和年間(一三八一八三)の創建と伝える。太古以来当地の住民は欝蒼たる森を神奈備の杜と崇め、伐採を禁じ、信仰の中心として神聖を保って来たが、弘和の頃から、神顔の雨露除けに四本柱の小屋を作り、奥に小網を設けて諾再二神を祀った。後世次第に詞を整えると共に、傍に草屋を設け、少年が交代宿直して神事を勤めつつ心身を鍛錬したという。古代信仰の古態を伝える希有の例である。近世に至り領主安藤治右衛門定高は、鳥居・灯寵の奉納や献供など神事に率先して、社頭も整備された。明治六年九月、現社殿に改築。(神奈川県神社誌より)

横浜市教育委員会文化財課掲示による阿久和熊野神社の由緒

社伝によると、平安時代の安和の頃(968~970年)から当地区の人々は、こんもりと茂ったこの森を”天神地祇の御座所”と敬い木を切ることを禁じて”まつりの場所”としていましたが、南北朝時代の弘和の頃(1381~1384年)に小さな社を建てて祀りました。
江戸時代には、阿久和を知行した安藤治右衛門定喬は社事に率先したといいます。現在の社殿は、明治6年(1873年)の建立で、拝殿は数々の彫刻で飾られています。
江戸時代から守り続けられている9月19日の例祭には、神職による「湯立神楽(湯花神楽)」、氏子による阿久和囃子が奉納されます。
神楽殿は、相模歌舞伎などを演じるための芝居小屋として昭和9年(1934)に建築されました。日本三大歌舞伎の一つである相模歌舞伎は、地芝居として昭和30年頃まで演じられていました。その後、神楽殿は、地域の人々の踊りや祭りの場として利用されてきました。(横浜市教育委員会文化財課掲示より)


阿久和熊野神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿