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願成寺。横浜市西区西戸部町にある高野山真言宗寺院

願成寺の概要

高野山真言宗寺院の願成寺は、法亀山地福院と号します。願成寺は、元祐(天文7年1538年化)が開山となり創建したといいます。東国八十八ヵ所霊場31番です。

願成寺
願成寺の概要
山号 法亀山
院号 地福院
寺号 願成寺
住所 横浜市西区西戸部町3-290
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



願成寺の縁起

願成寺は、元祐(天文7年1538年化)が開山となり創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による願成寺の縁起

(戸部村)願成寺
除地、一段許、西の方にあり、古義真言宗、太田村東福寺末、此下三ヶ寺同寺の末なり、法亀山地福院と號す、開山元祐天文七年十二月二十五日化す、本堂六間に七間、本尊地蔵を安せり。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜西区史」による願成寺の縁起

法亀山地福院願成寺(高野山真言宗、本山高野山金剛峰寺)
西戸部町三-二九〇。住職楠興雅。本尊地蔵菩薩。開山元祐(天文七年-一五三八-没)。寛永十年の「関東真言宗古義本末帳」に願成寺寺内御免とある。創建当時は現在の税関公舎の辺りにあったが、類焼して暗闇坂下に移り、また火災にあって、現在地に移転、再建したといわれる(「市史稿仏寺編」)。寺伝によれば、往昔、行基菩薩が此の地で渇をおぼえたところ、一匹の亀に導かれ、清水で渇をいやした。そこでここを法亀山と号したという。境内墓地には近世戸部村を代表する旧家の墓が数多くあり、また、元治元年(一八六四)鎌倉で英軍将校二名を殺害した清水清治、間宮一や、慶応二年(一八六六)港崎町の遊廓で仏軍水兵を殺した鳶の小亀などの墓がある。(「横浜西区史」より)

横浜市教育委員会文化財課掲示による願成寺の縁起

願成寺は、法亀山地福院と号し、高野山真言宗の寺院で、本尊は秘仏の延命地蔵尊です。「新編武蔵風土記稿」に、開山は元祐(天文7年(1538)此の地に住す)と記されています。寺伝に、「天平年間(729-49)行基がこの地を通りかかった時、渇を覚え水を探していると渓谷より1匹の亀がはい出てきた。路傍を掘ると清水が湧き出てきたので、これを飲用し渇を癒した。これよりこの周辺を法亀山と名付け、草堂を創った。この草堂が願成寺の始まりである。」とあります。また、延命桜と呼ばれた行基の杖が根付いたという桜の古木がありましたが、大正時代に枯れてしまいました。寺の南側にある井戸が、行基の飲んだ清水の湧きだした跡と伝え、延命水と呼ばれています。
墓地には、外国人を殺傷して戸部刑場で処刑された清水清次・間宮一(元治元年(1864)に起きた鎌倉事件の加害者)、鳶の小亀(慶応2年(1866)に起きたフランス水兵殺害事件の加害者)、の墓があります。
願成寺の前の道は、保土ヶ谷道と呼ばれ保土ヶ谷宿から戸部村・横濱村に通ずる道で、この先の坂は「くらやみ坂(暗闇坂又は鞍止坂と書く)」といい、安政6年(1859)開港と共に取締り上重要として設けられた関門がありました。
またくらやみ坂脇には牢屋敷が建てられ処刑場も設けられました。その後牢屋敷は、根岸、笹下へと移転しました。(横浜市教育委員会文化財課掲示より)


願成寺の周辺図


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